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礼拝説教要約(20171210日)

「お言葉通りこの身に」    
   聖書・ルカ福音書12638

 日本の美しい女性像を「大和なでしこ」と言います。清楚な美しさ、常に控えめで目立たず、主張は強くないものの、いざという時には家族を守り男性を守る。か弱そうに見えながら、内には十分な教養と強さを持った、りりしい女性の誉め言葉であります。

 今テレビで、大河ドラマで女城主直虎が話題となっています。腕力はないが確かにりりしさがあます。武士が台頭してきた時代に、腕力においても男子をもしのぐ女武者・巴御前という女性がいました。日本最初の王は女性の卑弥呼であります。更に神話では何をも凌ぐ天照大御神(太陽を神格化した自然神)等と、日本の女性は強く、リーダーとして、神話だけでなく歴史にも現れています。これらはちょっと「なでしこ」とは言い難いです。

 かえって、イスラエルの歴史の中に現れてきた女性たちが、控えめな美しさを持っているように見えます。イスラエルの家系は男系であります。イエス様の系図も男系で綴られています。でもその中に5名の女性の名が記されています。「ユダはタマルによってペレツとゼラを…サルモンはラハブによってボアズを…ボアズはルツによってオベドを…ダビデはウリヤの(バテシバ)によってソロモンを…ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。」(マタイ1) この女性たちは、それぞれ身分の低い弱い立場、人々から顧みられない立場にありました。しかし健気に生きて、救い主イエス様の祖先となったのです。マリアも賛美の中で自分を「身分の低い、この主のはしためにも(口語訳では・この卑しい女をさえ)」(ルカ1:48)と言っています。マリアもダビデの家系だったのかもしれませんが、王の家系ではなかったことがルカ福音書の系図から分かります。親類のエリザベトは祭司の妻でありましたが、マリアの父は祭司でもありませんでした。この世の栄達の道からは外れた家族の中で、旧約にはその名もない寒村ナザレで生まれ育ちました。

 そのようなマリアのもとに、天使ガブリエルが神の御旨を伝えるために遣わされてきました。「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる。」(:28)という天使の言葉にマリアが戸惑っていると、さらに御使いは、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は彼に父ダビデの王座をくださる。」(:31~32)と告げられました。マリアはヨセフのいいなづけになっていましたが、未だ結婚適齢期になっていなかったのだろうと思います。それで恐れ、不安の中で「どうして、そんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(:34)と言いました。

 でも、マリアは心の中で天使の言葉を思いめぐらしていたのでしょう。「その子の名はイエス(罪を取り除く)。高き方の子(神の子)、そして、父ダビデの王座を継ぐ者」との言葉を畏れの心で、でも素直に受け入れました。これらはイスラエルの民なら誰でもが知っている、神の約束の言葉であります。それを否定することは誰もできません。でも、私がその神の子・救い主の母となる!やはりそんなことあり得ないと思えました。しかし、天使から「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。…神にできないことは何一つない。」(:3537)と告げられました。そう言われては、純真な信仰の持ち主であるマリアは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」(:38)といわざるを得ませんでした。

 この返答は決して安易な道ではありません。ヨセフが受け入れてくれなければ、死さえも覚悟しなければならない、信仰に立った決意であります。しかし主は、信仰に立つ者を捨て置くことはありません。決心した信仰の道を歩めるよう、背後より支え、道備えをしていてくださるのです。それがヨセフへの天使の告知でありました。

 私たちも、どんなに年を経ても、神の前には純真な心で、「お言葉通り、この身になりますように」言える者でありたい。それこそが、主の備えた道を歩む者の幸いでありますから。

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