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礼拝説教要約(20171022日)

全能の神との契約」        聖書・創世記1718

 前回、前々回も「神のことば聖書」についてふれました。聖書は旧約聖書と新約聖書を合わせて「聖書」であります。そして、旧約、新約の「約」は契約であって、神と人との約束が記されています。ある人が「約束は破るためにある」といいましたが、確かに、神との契約において、人間は約束を破り、守りきることが出来ませんでした。それでも、神は神の側の約束を、ご自身の真実にかけて実行してくださいました。又これからも実行してくださいます。

 本日の聖書箇所に、その神がご自身を「全能の神」と表現しています。全能だからといって、何でもできるわけではありません。「神にも出来ないことがあるの?」あるのです。神は嘘をつけません。罪を犯せません。人間に自由を与えましたから、人間をご自分の命令に従う奴隷とはしません。神の全能は、ご自分の「良しとされた」ご計画を完全に実現されるお方として、アブラムに示されています。私たち人間の側の欠けや弱さにもかかわらず、神は必ず、創造された人間と自然の状態を「極めて良かった」(創世記1:31)の状態に完成してくださるのです。だから、神に希望を置く私たちは安心できるのです。

 「神の計画」その極めて良かった「天国」と呼ぶ状態を悪くしたのが人間です。神との契約を、人間が破ってしまったことにより、悪しき状態が始まりました。でも、神は全能であられるので、必ず神のご計画通りになります。でも、創造の完成のためには、人間の協力が必要です。人間は神の奴隷ではありませんから、自由な心で喜びをもって、神のご計画を行なう人を必要としています。そのため選ばれたのがアブラムでした。

 神はアブラムに「『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』」(創世記15:5)と約束なさいました。このときアブラムは既に85歳でした。未だ後を継ぐ子どもがなかったし、もはや、男子としての機能も消えたような状態でした。でも、アブラムは、これが神のこのことばである故に信じました。「主はそれを彼の義と認められた。」(15:6)のです。神の言葉を信じること、これのみが人間が神の前に義とされる唯一の道です。

 その後、老いた妻・サライの勧めで、ハガルを側女として受け入れ、ハガルによりアブラムは子・イシマエルを与えられました。しかし神は、人間の知恵、考えで得たイシマエルを、約束の子とは認めませんでした。あくまでも、アブラムとサライの間に生まれる子が約束の子であると言われました。そしてアブラムは一民族の祖先であるだけでなく、多くの国民の父となると言われます。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。」(:4~5)このようにして、信仰の父アブラハムが生まれました。そしてまた、「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。」(15:15~16)と言われました。アブラハム100歳、サラ90歳であったにもかかわらず、約束の通り、確かに、彼の腰から約束の子・イサクが生まれたのです。そして、イサクからエサウとヤコブが生まれました。このヤコブが名をイスラエルと改め、その12人の子らが、イスラエル民族12氏族として一国家を形成することとなります。でも、神の計画はそれに止まりません。あくまでも全人類の祝福であります。それがアブラハム「多くの国民の父」という意味です。

 一人の人がいかにして多くの国民の父となり得るのでしょう。それは、神の業であります。それはまさに奇跡です。アブラハムの子孫から、人間の罪を取り除く救い主、つまり、イエス・キリストが生まれる約束です。イエス・キリストの誕生こそ最大の奇跡なのです。そして神は、アブラハムが主のことばを必ず実現すると信じたことで義とされたように、このイエスをキリスト(救い主)と信じる者を義とされるのです。

 このように、私たちの信じる主なる神は、ご自分の創造の業を、完全に、良い形で完成なさるお方です。

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