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礼拝説教要約(2017910日)
「神を愛し、隣人を愛する」   
聖書・ルカ福音書102537

 昨日、A姉の属しているゴスペルグループを迎えて、土曜交わり会が開催されました。素晴らしい歌声を会堂一杯に響かせてくださいました。感謝致します。ゴスペルの歌詞はすべて神様を褒め称え、感謝を表わす信仰の言葉です。ゴスペルはメロディーやリズムという音楽性ではなく、歌詞ゆえにゴスペルと呼ばれます。その讃美を聞き、愛餐でも感想や自己紹介をし合い、楽しいひと時をもてました。ゴスペルグループのメンバーがゴスペルとの関わりを話してくださいましたが、「歌うことで心が解放された」とか、「歌詞によって心が慰められ、励まされている」等、何人もの人が話しておられました。それらを聞きながら、「それらは皆、ここ、教会にあるんだよ」と叫びたい思いが致しました。なぜなら、ゴスペルはイエス・キリストの福音だからです。だから、ゴスペルを歌うだけでなく、ゴスペルを生きて欲しいと願い祈りました。

 国柄によって福音の生き方に特徴があり、関心のある事が異なります。台湾のクリスチャンは良く讃美する。韓国のクリスチャンは良く祈る。では、日本のクリスチャンは?良く学び、神学好きのクリスチャンであります。どれも必要ですが、日本のクリスチャンはもっと讃美し、祈る事を大事にしなければなりません。

 では、今日の聖書箇所に記されている時代、ユダヤ人たちは信仰に於いて、何に最も関心を抱いていたのでしょうか。「永遠の命を得ること」でした。そして、律法を学ぶことによって、それを得られると思っていました。だから、ラビと呼ばれる律法学者たちが尊敬されていたのです。この聖書箇所でも、律法学者たちがイエス様を試そうとして、「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。(:25)と質問しました。イエス様は「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(:26)と問い返えされました。こんなにも大事な律法、そしてその中心は何でしょう。律法学者たちは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」(:27)であると答えました。律法学者たちは良く知っていました。その通りです。

 でもこの律法はユダヤ人には周知のものでした。クリスチャンで「主の祈り」を知らない者がいないと同じほど、ユダヤ人なら誰でも知っており、最も愛されている祈りの一節のようなものだったと言えましょう。「聞け、イスラエルよ。」で始まる申命記6章の「我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(:4,5) これらの言葉は、子どもに繰り返し教えるように命じられているだけでなく、自身、起きている時も、寝ている時でさえも、一時も忘れてはならないものとされていたのです。また、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ記19:18)も、「私は主である」と権威付けられて諭されたものでありました。

 だから、知っていることは当然のこととして、大事なことは、それを「生きる」ことであります。イエス様は「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」(:28)と言われました。

 福音(ゴスペル)を生きる範囲、愛の行為を示す範囲はあるのでしょうか。あるとすれば、どこまででしょうか?ユダヤ人の多くは「隣人を愛し、敵を憎め」(マタイ5:43)と思っていました。だから、「わたしの隣人とはだれですか」(:29)との質問になったのです。

 先週の例え話では「兄弟がわたしに対して」(マタイ18:21)とありましたから、仲間同士と受け止められます。しかし、イエス様は、「愛を生きる」とは国境、民族、仲間などという範囲があるわけではない。今日、あなたを必要としている人の必要に応えることが、愛するということであると教えるために、「善きサマリア人」の喩え話をされました。

 エルサレムからエリコヘ下る街道で追いはぎに襲われて、服まで脱ぎ取られ、半殺しになっている人がいました。そこを通りかかった祭司も、レビ人も忙しい用事があったのでしょう。でもまた、恐ろしさもあって、見ぬ振りをして通り過ぎて行きました。しかし、民族的に仲たがいをしているサマリア人は、その人の手当てをし、宿屋まで連れて行き介抱しました。この人も忙しかったのでしょう。宿賃を払っただけでなく、後の介抱と、不足の宿賃が出たなら、それも支払うことを約束して、旅立って行きました。

 イエス様は律法学者たちに問われます。「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」(:36)と。「その人を助けた人です。」(:37)との答えは当然です。イエス様は言われるのです。その当然のことを「行って、あなたも同じようにしなさい。」と。そして聖書は更に言います。「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(Ⅰヨハネ4:20~21)

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