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礼拝説教要約(201786日)
「神のことば聖書」        聖書・エレミヤ書3618

 昨日「聖書ってどんな本」と題して、ジュニアチャーチの夏季学校が行なわれました。私は詩編119105節「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」から話をしました。

 暗闇の中を歩むことは不安があります。どんな危険が潜んでいるか、躓きがあるかわかりません。だから怖いわけであります。でも、太陽という光の中なら、全てのものが良く見えて安全、怖くないと言えますでしょうか。「一寸先は闇」という諺がありますが、これは光の中というより、時間という中での状況を示しています。人は、時間に関してはまったく闇も同然です。明日、何が起こるかわかりません。今までのことからある程度の予測はつくかもしれません。しかしそれが「絶対」とは誰も言えないのです。まして、1年後、10年後、30年、50年後だったらどうでしょう。実際には1時間後だって分かりません。

 そのような人生の道を照らす灯が聖書なのです。なぜなら、色々なものが移り変わる世にあって、永遠に変わらないもの、それが聖書です。

 実際、国の根幹をなす憲法も、法律も変化します。憲法改正ということばが飛び交う現在の日本ではそのことが良くわかります。心を導く道徳さえ、武士の時代、日本帝国主義時代と民主主義の現代では変化してきました。聖書以外の宗教の本も時代に伴い書き換えられたり、削除されたり、加筆されて行きます。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(Ⅰペトロ1:24~25)と言われているとおりです。聖書の最後には「この聖書の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何かを取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。」(ヨハネ黙示22:18~19)と、聖書の不変が記されています。

 どの国、どの時代にあっても聖書は変わらないから、聖書も、それを信じ伝える人も迫害を受けました。自己中心的考えのこの世にあっては、聖書の言葉、神の御旨を生きる者は邪魔者扱いにされてきたのです。

 エレミヤは神から語るべき言葉を託された預言者でした。彼は何回も、預言の言葉をもって、イスラエルの民と指導者たちに忠告しました。それは当時のユダ王国にとっては災いの預言でした。「主はこう言われる。わたしは、この都をバビロンの王の手に渡す。王はこれに火を放つと、彼に言うのだ。あなたは、彼の手から逃れることはできない。必ず捕らえられてその手に渡される。あなたはバビロンの王の前に引き出され、直接尋問され、バビロンへ連れて行かれる。」(エレミヤ34:2~3) しかしそれは、神の御旨から離れ(つまり罪を犯し)、破壊と滅びへと歩んでいるユダに、悔い改めて、神の言葉に聴き従うなら祝福を回復するとの、神の愛から出た懲らしめでした。でも、聞く耳を持たぬ王は、エレミヤを捕らえ獄屋に入れてしまったのです。「預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた。ユダの王ゼデキヤが『なぜ、お前はこんなことを預言するのか』と言って、彼を拘留したのである。」(32:2~3

 このような状況でも、主は忍耐強くイスラエルの民の悔い改めを待ち望み、エレミヤに語りました。「ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦そう。」(:3)と。また、エレミヤは神殿に行けぬ身でありましたから、弟子のバルクを呼び寄せ、主の言われたとおり口述筆記させました。そしてバルクに「神殿に行って、書き記した巻物から、主の言葉を読み聞かせなさい。…主の怒りと憤りが大きいことを知って、人々が主に憐れみを乞い、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。」(:5~7)と、主と同じ愛の心で命じました。

 バルクが言われたとおり、神殿で巻物に記された主の言葉を読むと、ミカヤは心を動かされ、王宮の役人たちに預言の言葉を伝えました。役人たちは即座にバルクを呼び、「我々にも巻物を読んでください。」と言ったので、バルクは預言の言葉を読み聞かせました。「その言葉をすべて聞き終ると、彼らは皆、おののいて互いに顔を見合わせ、」バルクに言いました。「この言葉はすべて王に伝えねばならない。」と。しかし、この預言の言葉を聞いた王は、この神の言葉の書かれた巻物を切り刻み、暖炉の火で焼いてしまいました。それでも神の言葉は再び、元通りに書き残され、現在のエレミヤ書の一部になっています。

 このような聖書の言葉の歴史は、日本でも豊臣秀吉、江戸時代、太平洋戦争下での迫害としてありました。しかし、神のことば聖書は、永遠に変わることなく、必ず成就して行く真理です。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(Ⅱテモテ3:16)とあるように、聖書のことばを神の言葉として受け止め、従い生きて参りましょう。

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