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礼拝説教要約(201772日)

「新しく生まれる」       聖書・ヨハネ福音書3121

 岡村アシュラムが近づいてまいりました。今年は準備祈祷に2週間とりました。コリント第Ⅱの手紙を読み、自分に今、何が最も必要かを、じっくり祈り求めてください。これが必要(ニード)という課題を持って、アシュラムに参加して欲しいです。

 ニコデモは切羽詰った必要を持ってイエス様を訪問しました。でも、「ある夜、イエスのもとに来て」(:2)とあるように、大っぴらに訪問したわけではありませんでした。なぜなら、彼は未だ、自分の立場を意識しており、仲間はずれにされることを恐れていたからです。「ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。」(:1)とあるように、彼はイスラエルで最も厳格な宗教集団であるファリサイ派の一員でした。その上、70人議会(サンヒドリン)と呼ばれる、今で言うならイスラエルの国会議員でした。これは出エジプト時代に主がモーセに言われたことで、「イスラエルの長老およびその役人として認めうる者を70人集めなさい」(民数記11:16)とあります。この当時は祭司24人、長老24人、学者22人から成っていたそうです。このファリサイ派、議員たちはその立場上、誇りをもっているだけでなく、人々から尊敬を抱かれていたのです。しかし、イエス様が現われ、民衆の心がイエス様に向かったことにより、これらの集団の人々は、イエス様を妬み反感を抱くようになっていたのです。

でもニコデモはどうしてもイエス様にお会いし、心にある問題を解決してもらいたい、このお方ならそれが出来るのではないかと希望をもって訪ねたのです。その問題の1つは、ローマに支配され、隷属させられているユダヤ人なら、正面きっては言えないが、誰でもが願っている解放・独立の問題です。更に、イスラエルの宗教も祭司の世襲制により世俗化し、神殿が金儲けの道具と化してしまっていることです。第2として自分のことです。信仰の指導者であると自負しながら、「自分は救われ、永遠の命が与えられている」つまり、神の国へ行けるとの確信を持つことが出来ないでいることでした。

だから、単なる人間とは思えない、奇跡的な力をもって神の栄光を顕しているイエス様。神の国について権威ある言葉で語り、ヨハネ2章の13節から記している、神殿を清めるイエス様に、どうしてもお会いし、聴きたかったのです。これが、ニコデモが止むに止まれず、夜、秘かにイエス様を訪問した次第です。

しかし、自分の不安、特に、自分の信仰の確信の無さや欠け、つまりニードを話すことには、気が引けました。だから「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行なうことはできないからです。」(:2)と言うにとどめました。でも、イエス様はニコデモの思いを全てご存知で「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(:3)と、単刀直入に、権威を持って、ニコデモの問題の核心に答えられました。不意を突かれたニコデモには「新たに生まれる」との意味が分かりませんでした。もう一度、母の胎内に入って生まれなおすこと等できないことは当然です。困惑するニコデモにイエス様は「肉から生まれるものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」(:6)と諭されます。本日、洗礼式がありますが、受洗準備の学びで私は「一度しか生まれない者は二度死ぬ。二度生まれた者は一度しか死なない」と語ります。それは、人は誰でも母の胎を通って生まれてきます。これが「一度生まれる」です。しかしこの生は、アダムとエバが神から離れ去った原罪を持った、自己中心の神なき、肉欲の生です。このような人は、誰でも体験しなければならない肉体の死と、「死んだ後、裁きを受ける」とある死後に受ける裁きによって確定する地獄・霊的な死、永遠の滅びが待っています。これが第二の死です。でも、母の胎から生まれるだけでなく、「イエス・キリストと共に十字架につけられ、罪に死んだなら、キリストと共に新しい命に復活する」(ローマ書6)。これが洗礼であり、「霊から生まれた」と表現されている第二の生です。この人はもはや死後裁きを受けること・第二の死を味わうことはありません。

霊から生まれた者は、イエス様の霊を内に受け入れていますから「イエスは主である」と告白できるのです。未だ自分に死んでいないニコデモにはこのイエス様の言われることが理解できませんでした。でも、イエス様は「こんなことさえ分からないのか!」と、あきらめることなく、ニコデモの知識に訴えたのです。「天から降って来た者、すなわち人の子」(:13)「私こそ旧約に約束されている天から降って来た救い主だよ」と。そして、「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。」(:14)と、救い主なる自分は、十字架に上げられることで「信じる者が皆、…永遠の命を得る」(:15)ことを預言しました。ニコデモは、この時は未だイエス様の言われたことを理解できませんでしたが、イエス様が十字架で死んだとき、イエス様のご遺体をアリマタヤのヨセフと共に取り降ろし、墓に葬るほどの弟子となっていました。

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