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礼拝説教要約(2017625日) 

「罪=心の通わぬ人々」
      聖書・創世記1119

 あなたは隣りの人の心、思いがわかりますか? なかなか難しいことですよね。初めて会った人と同室で、何の心配もせず交わり、眠りにつけますか? 私は時々、超教派の宿泊を伴う集会に出かけます。今年も、8月の終わりに北海道であるこころの友伝道全国大会in旭川、9月に箱根である関東アシュラム、2月にはケズイック・コンベンション等があり参加する予定です。このような集会では初めての人と同室になることがあります。でも、旧知の友のように付き合えます。その人もイエス・キリストを主として信じており、その人の心の中にもキリストがおられると信じているので、心が通い合うのです。

 私は語学が苦手です。もっと外国の人と自由に話が出来たら、どんなに良いだろうと思うことがあります。

 かつて「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」(:1)とあります。このような世界だったら良いなと思います。何でも話し合えることは便利だし、良いことです。日本人は話し合わなくても心が通じることを「阿()(ウン)の呼吸」と言って大事にします。「阿吽」は仏教での呪文としてあった言葉で、口を開いて声を出し、発音する最初の音と、口を閉じて発する最後の音を 意味するそうです。だから「阿吽の呼吸」は二人の人物が呼吸まで合わせて行動を共にする様 で言葉を交わさなくても意思疎通ができているような時に使われています。 夫婦は一心同体というから「言わなくても分かるだろう」と、特に夫は、そのように願う傾向が強いようです。でも人間、なかなかそうは行きません。「言わないと分からない」が本音のようです。言葉は便利だし大事です。でも、もっと大事なものがあります。

 され、地上で最初の王となったニムロドは、シンアルの平野にバベルと呼ぶ町を造りました。「ニムロドは地上で最初の勇士となった。…彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった。」(8:8,10) 「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。」(:2)とは、二ムロド王たちのことです。ニムロドは自分の力、偉大さを誇示するため天にまで届く建物を造ろうとしました。「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った。」(4) 何という傲慢、何という不敬だろう。「天にまで届く」とは、「自分が神に代わって全てを支配する」との、神を神として敬わない、人間万能、神なしの世界であります。つまり、アダムも陥った、神への反逆ともいえる罪の心が言わせるものであります。

 私たち夫婦は先週、上野の都美術館で行なわれている「バベルの塔展」に行ってきました。作者のブリューゲルは、バベルの塔を3点描いたそうです。1番有名な絵が、今回24年ぶりに日本に来たボイスマンス美術館所蔵のバベルの塔です。しかし、ウイーン美術史美術館所蔵のバベルの塔は3倍の大きさがあって、それには塔の建築を命じ、指示している二ムロド王が描かれています。命令されながらバベルの塔が築かれて行く。そこには二ムロド王の意に反対の思いを持つ者も居たであろうことを表わしています。でも今回見たバベルの塔の絵には、命令する王は居ないのです。しかし皆が心を一つにして、更に高い塔を造っています。「更に高い」とは、地平線が低くなっていることで、バベルの塔の威容さが更に強調されています。それは又、人間の心の増長を象徴しています。人間が心を合わせることは良いことですが、神への反逆に於いて結束している。これは、皆の心に罪が蔓延し、罪が増大している印しであります。それはもはや、罪を罪として、誰も感じなくなっていることを表わしています。これも現代の姿です。バベルの塔は今も、人間の心に、ますます高く築かれています。

 前2週、ノアの箱舟について読み解いて参りました。そこには神に聴き、信仰をもって従い造った建造物(箱舟)がありました。これは水の中(洗礼)を通って救われる人々が集う教会を表わすと言いました。ここにはイエス・キリストによる心の一致があります。これは神に向かう救いの文化です。命を与え、永遠に続くことを示していす。しかし、本日の建造物・バベルの塔は、神に反逆し、神に背を向けて歩む滅びの文化です。自分第一の罪の心は、他者の心の思いがわかりません。だから、言葉を乱された途端、意志が通じなくなり、共に働くことが出来なくなったのです。これが、バベルの塔が私たちに示しているメッセージです。

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