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礼拝説教要約(201762日)

「戻って来られた聖霊なる神」       聖書・ヨハネ福音書14:15~21

 ペンテコステおめでとうございます。聖霊が降臨して、弟子たちが力強くイエス・キリストによる救いの福音を語ることで、その日、三千人が洗礼を受けました。12人の弟子たちとガリラヤから付いて来ていた女性たちの小さなグループは、この日、コミュニティとなりました。これが教会、今日は、教会の誕生日なのです。

 イエス様が十字架に架かって死なれたので、失望落胆し、不安と恐れの中にあった弟子たちでしたが、復活の主にお会いし喜びました。でもそれから40日経って、イエス様は天(神の次元)へと帰られました。でも、この昇天についてイエス様は「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」(ヨハネ16:7)、つまり、去るのは、あなた方のため、弁護者なる聖霊となって来るためであると、前もって語っていました。人間の弱さをご存知のイエス様は、聖霊としておいでになることについて、そしてそれは、イエス様が地上におられるより良い状態になるのだよと何回も語っておられたのです。

 「弁護者」とは、私たちがこの世の旅路を終えて、父なる神のもとに帰ったとき、「この人の罪は既に裁かれ、赦されています」と執り成すお方ということです。それだけでなく、「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」(16:12~13)ともあります。私たち人間は罪のために霊的に鈍くなっており、神の御心(永遠に変わることのない真理)がわかりません。それゆえに、主は、真理の霊としておいでになり、私たちに真理を悟らせるのです。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(Ⅰコリント12:3)とは、その中心的悟りでしょう。「何回も語っておられる」と言ったように、ヨハネ15章にも「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。」(26)とあります。

 そして本日の1415節からには聖霊の働きと、来臨の約束が記されています。「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」(16~17) でも、この世の人は「この霊を見ようとも知ろうともしない、受け入れることができない。」(:17)のです。私たちの周囲を見てもこの現実があります。多くの人がキリスト教は良いと思い、子どもをキリスト教主義学校に通わせています。聖書は毎年、ミリオンセラーです。でも、キリストを心に受け入れ、キリストに従って行こうという人はなかなか起こりません。なぜでしょう? その必要を感じていないからです。つまり、現状に満足しているからでしょう。また、自分の知恵と力に自信を持っているからです。しかしこれは、自分の罪に気付かず、滅びに向かっていることを感じていないからです。でも、心を静め、人間の今までの歩みを振り返ってみれば分かることです。そして日本の現状、世界の現状を見て、滅びに向かっていることを感じないのだろうか。またそれが、どこ(罪)から来ているか気付かないだろうかと不思議に思います。「大丈夫だ!何も問題ない!うまくいっている!」と、虚勢を張って、うそぶいているだけではないでしょうか。

 でも、あなたがたは、不安を覚え、疑問に思い、気付きました。今のままじゃいけないことに。自分の罪に、滅びに向かっていることに気付きました。それは聖霊の導きです。これはアダムとエバに「食べると必ず死んでしまう」と言われたように、霊的に死んだも同然の人間に与えられている神の慈愛です。これを神学用語では「先行恩寵と読んでいます。そしてこの主の霊を受け入れ、疑問は確信となりました。真理の霊があなたの内にあって、真理を悟らせたからです。

 「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」(:19)とは何と幸いでしょう。イエス様が十字架に架かって死んでしまう。世の人々がイエス様を見るのはこの時までです。でも、イエス様は復活し、栄光の体をもって、新しい命に生きておられます。主キリスト・イエス様が昇天なさるのは、新しい命として、私たちを生かすためです。キリストがあなたの内にいることを忘れないでください。そうしたら、あなたは確信と共に、あなたが命を与えられた使命を生きて行く力も与えられるのです。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録18) 主はあなたと共におり、力いっぱい愛しておられます。

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