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礼拝説教要約(201757日)

「天地創造の神」         聖書・創世記1123

 自然界には人間より力が有り、人間に恐れを抱かせるものが一杯あります。その自然界の力あるものを日本人は、神として崇めてまいりました。

 雷は怖いですか。私もあのゴロゴロという程度なら何でもありませんが、近くでバリバリという感じの音を聞くと怖さを覚えます。風はどうでしょう。そよ風は気持ちよいですが、台風となると多くの災害を引き起こします。俵屋宗達の風神雷神図は誰でもが知っているくらい有名です。自然の脅威を神として現さざるを得なかったのでしょう。火の神、水の神、山の神、地の神、森の神、海の神、田の神。これらは良く管理すれば、人間に恵みを与えてくれます。しかしこれらの災いが来ないようにと願い、神として祀り、拝むのです。きれいな景色、老樹、奇岩等不思議を思わせるものも神となります。そして、蛇や狐のため祠を建て拝む対象にします。一木一草に霊が宿っていると考えるアミニズムでは、自然界の全てが拝まれる対象となっています。自然の恵みに感謝する思いは大事です。これはこれらを造られた神への感謝へも通じて行きます。でも私は農家の子ですから、創造主なる神を知るまでは、この感謝の心が、崇め祀る思いと同居していたことを知っています。農作業用具をさえ年に一度、飾り立て、拝み供養していたことを思い出します。感謝する心は大事ですが、災いが起こらないようにと祀り崇めることはいかがなものでしょうか。

 同じように、先祖(死者)への感謝は忘れてはなりませんが、神として祀ることは、あってはならないことです。アニメ映画の「もののけ姫」のたたり神を恐れる思いが日本の風土の中にはあります。恨みを抱き、怨霊と化した死者からの災いを避けたい、又、偉大な業績を残した人のその力にあやかりたいとして、神として祀り崇める。これが日本の神観念です。ですから、日本では八百万の神々が存在することになります。でもこのような、人間が自分に都合の良いように作ったものが神でしょうか。否、けっしてそうであるはずはありません。

 このような神観念を持ち続けるなら、いつか近未来において人間の作り出したコンピューター(これは並の人間より遥かに素晴らしい、力ある仕事をする)を祀り、神として崇める時代が来るかもしれません。漫画みたいな話ですが、笑い事ではない現実です。でもそれは、あってはならないことだし、悲しいことです。これは神観念の誤りから来ます。そうならないためには、正しい神観念を持たなければなりません。

 真の神は、天地を創造された唯一絶対なお方です。そのお方が「光あれ。」(:3)と宇宙の創造を始められました。科学の世界でも、混沌の中から光がはじけ(ビッグバンが起こり)、今も光の速さで宇宙は拡大しているといわれています。創世記の天地創造の出来事を見た者はおりません。しかし、神の啓示によって示された創世の業が記されています。神は宇宙()の中に、光子をして地(地球)を創造し、地に海と陸を造りました。地には「草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。」(:12)と、自然を創造されました。また「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」(:20)と、魚と水の中の生き物、鳥を創造されました。また、「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」(:24)と、地の上の動物を創造されました。これらは全て、神が命の種をして産み出したものです。そして最後に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」(:26)と、人を御自分にかたどって創造されました。

私たちは現に、存在しています。つまり、命の根源なるお方から命を与えられ存在しているのです。決して人間は偶然の産物ではありません。

自分より力が有り、勝れていても、それを神としてはなりません。自然の恵みには感謝したいですが、それを崇めてはなりません。これら全てを創造し、命を与えておられる唯一の存在者のみを神と呼びましょう。そしてこの真の神に感謝しましょう。そして、このお方をのみ神として褒め称えましょう。

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