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礼拝説教要約(201725日)

「謙遜な心と神の知恵」         聖書・列王記上3114

 「何でもお願いしたい事があるなら言いなさい。必ず叶えてあげますよ」と言われたら、あなたは何を願いますか?

 フランスの小話に「ある町はずれに、小さな料理屋がありました。この料理屋の夫婦はお金持ちではありませんが、毎日の食べる物には不自由せず、健康にもめぐまれて幸せに暮らしていました。ある日の夕方、金ピカの服を着た伯爵と伯爵夫人が、金の馬車に乗って料理屋の前を通りました。それを見ていた二人は、自分たちの生活が急にみすぼらしく思えてきました。おかみさんは、ため息をつきながらつぶやきました。「こういう時に、仙女がいてくれたらねえ。どんな願いでも叶えてくれると言うじゃないか」そう言ったとたん、家の中にサッと光が差し込んで仙女が現れ言いました。「今からあなたたちに、三つの願い事をかなえるチャンスをあげます。ただし、願い事の取り消しは出来ませんよ」と仙女は言うと消えました。「やっと、運が向いてきたな。三つの願い事か。ここは慌てず、慎重に考えないとな」と二人が言い、思いついたことは「やっぱり一番の願いは、長生き出来る事だな」「でもお前さん、長生きしたって、働く毎日ではつまらないよ。願い事は何と言っても、お金持ちになる事だよ」二人は今夜一晩、じっくり考えようと仕事にとりかかりましたが、三つの願い事が気になって仕事がすすみません。長い一日が終わって夜になり、二人は暖炉のそばに腰をおろしました。おかみさんは暖炉の赤い火を見ながら、思わず呟きました。「この火でソーセージを焼いたら、きっと美味しいだろうね。今夜は願い事の前祝いに、1メートルもあるソーセージでも食べてみたいね」おかみさんがそう言ったとたん、天井から1メートルの大きなソーセージが落ちてきたのです。「えっ、うそ! 今のはなしよ!」おかみさんはあわてて言いましたが、願い事の取り消しは出来ません。すると主人が、おかみさんに怒鳴りました。「このまぬけ! お前の食いしん坊のおかげで、大事な願い事が一つへってしまったぞ! 何てもったいない! こんなソーセージなんか、お前の鼻にでもぶらさげておけ!」主人がそう言ったとたん、ソーセージがおかみさんの鼻にくっついてしまいました。主人はあわててソーセージを引っ張りましたが、おかみさんの鼻にくっついたソーセージはどうしてもとれません。鼻にソーセージをくっつけたおかみさんは、大声で泣き出しました。おかみさんは泣きながら言いました。「最後の願いは決まっているよ! どうぞ、このソーセージが鼻から取れますように!」そのとたん、ソーセージは鼻から取れて床に転がりました。主人はがっかりですが、おかみさんはソーセージをひろうと、暖炉の火で焼きながら言いました。「くよくよしても、仕方がないよ。それより晩ご飯は、ソーセージだよ。おいしそうだね」それから二人は二度と不満を言わず、今の暮らしを大切にしたということです。」

 実はこの小話と同じように、日本人の願いの第1位は健康と長生き。第2位は楽しい生活を送るためにお金持ちになることだそうです。さて、あなたは?

 今日の主人公ソロモンの願いは何だったでしょう。父ダビデ王の後を継いで王となったソロモンは「主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩んだが、彼も聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。」(:3)とあります。聖なる高台とは、異教の風習でありますが、未だエルサレムに神殿が無かったので、高台で主に礼拝を捧げていたのでした。又、ソロモンは他の国々との友好関係を築くため、周囲の国々の王女を妻として迎えました。「彼には妻たち、すなわち7百人の王妃と3百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。」(列王上11:3)とある最初の異邦人の妻が「彼はファラオの娘を王妃としてダビデの町に迎え入れ」(:1)とあるエジプトの王女でした。これらは人間的に考えれば、隣国と縁戚になり、戦争を起こさない素晴らしい考えです。でもこれらが、ソロモンの晩年になって、信仰がおかしくなっていった源でもあり、危険を孕んでいたのです。

しかしソロモン王のスタートは3節の前半にあったように「主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩む」純粋な心での礼拝者でした。それ故に主は「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」(:5)と言われたのです。

 ソロモンは先ず、今ある状態を主の恵みとして感謝しました。そして、未だ若く経験もなく、王としての任務を遂行する力量が無いことを告白しました。そして「あなたの民を裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(:9)と、民を治める知恵を求めました。知恵は良いものですが、その知恵を用いる心はもっと大事です。でも幸いソロモンには、主を畏れ敬い愛する心、自分が取るに足らぬ者との謙遜がありました。又、民を正しく治め、民の幸いを願う心を持って知恵を求めました。「主はソロモンのこの願いをお喜びになりました。」(:10) 

 箴言9:10「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め」とあります。ソロモンの思いは、神の知恵と心をもって、神の国を打ち立てたいというものでした。だから主は喜び「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」(:11)と喜び、「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。」(:12)と言われただけでなく、それに添えて「あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。…わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」(:1314)と言われました。イエス様も「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)と言われました。“謙遜な心と神の知恵”これを人生の基礎にすれば、生きるに必要なもの、そして、真の幸いは付いて来るのです。

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