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礼拝説教要約(20161211日)

「愛と信仰の決断」       聖書・マタイ福音書11825

マリアの身ごもっていることは婚約者ヨセフの知るところとなりました。これは、マリア自身がヨセフに話したのでしょう。マリアは天使ガブリエルの御告げが真実であることを、親類のエリサベトを訪問することによって、一遍の疑いもなく確信しました。それ故、ヨセフにも「自分は聖霊によって身ごもっている」と告白できたのでしょう。

しかし、この事を聞いたヨセフは穏やかではありません。「聖霊によって身ごもる」など、マリアの言い訳にしか聞こえなかったかもしれません。「可愛さ余って憎さが百倍」という諺があります。普通の人ならマリアの妊娠を公にし、律法通り、石打の刑で死に至らしめたかもしれません。しかし、ヨセフの愛は、自己中心の愛ではなく、真実な愛でありました。神が人間を創造された時、神の霊と共に与えてくださっていた愛。しかし、神から離れて罪の世界を生きるようになった人間が、全く失っていた愛。裏切る者、敵対する者を愛し通し、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈られたイエス様の愛。このイエス様によって、再度、人間が思い出した真の愛であります。ヨセフがイエス様の父と定められたのは、この愛ゆえだったのでしょう。

でも、ヨセフは悩んだでしょう。自分をどう律すれば良いか。どうすれば、マリアを守ってやれるか。そして出した結論は「マリアのことを表ざたにするのを望まず、秘かに縁を切ろう」(:19)との決心でした。ある人は言うでしょう。「夫ヨセフは正しい人であった」(:19)とあるが、律法通りしないことは不正であると。しかし、神の愛こそ、全ての律法の根源であります。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』…『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:37~40)とイエス様は言われました。

このように決心したヨセフのもとに主の天使が現れました。そして「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」(:20)と告げました。ヨセフは驚きました。「ダビデの子」と呼ばれたことは久しくなかったでしょう。本来ならダビデ王の血筋を引く名家です。しかし今は、清めの捧げ物でさえ、規定の小羊ではなく、鳩二羽(ルカ2:24、レビ12:8)しか捧げられない貧しさの中にあるのです。ヨセフは自分の名誉ある家系を汚してはならないと、隠していたのかもしれません。だから「ダビデの子」という呼びかけに戸惑ったことでしょう。そして更に、マリアから聞いていたとおり、「胎の子は聖霊によって宿った」罪のない神の子であると知ったのです。「マリアは男の子を産む」「その子は自分の民を罪から救うから、イエスと名付けよ。」(:21)と告げられたのです。ヨセフもようやく納得しました。主なる神が自分を来るべきダビデの末・救い主の父として選んでくださったのだと。そしてついに、父ダビデに、主なる神が約束なさった救い主の到来の時が来たのだと。

救い主の到来に関しては、預言者イザヤがもっと具体的に預言していました。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(:23)と。これは北イスラエル王国滅亡時、南ユダ王国が最も不信仰になっていたアハズ王の時代でした。世には偶像が満ち、目に見えるものしか信じない。いえ、それはもはや信仰ではありません。アハズ王は攻めてくるアラムと北イスラエルの連合軍を恐れました。そして、アッシリアに貢物を贈って、助けを請うたのです。これは主の御旨ではありませんでした。主なる神はイザヤをして、いかなる時も神により頼むように語り掛けました。そして南ユダが北イスラエルに滅ぼされることは決してない。北イスラエルの企ては「実現せず、成就しない。」(イザヤ7:5~6)と告げます。しかしこれを信じないアハズ王に対し、主が御自ら与えてくださったしるしが「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)だったのです。

イエス様がお生まれになったこの時代こそ、南ユダ王国どころか、全世界が最も不信仰な時代だったと言えましょう。それ故、主なる神は、この世界に救いをもたらすために、この世に人としておいでになられたのです。「インマヌエル・神は我々と共におられる」これこそ救いであり、この世の民すべてが待ち望んでいた預言の成就の時なのです。

ヨセフは信仰をもって、マリアを妻として迎える決断をしました。私たちも、主の御旨ならば、自分に不利と思えることでも受け止めたい。主が自分を用いてくださる。それが最善と信じられる者でありたい。

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