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礼拝説教要約(2016821日)

「信仰の継承と救い」      聖書・ヨシュア記119

 時と共に世代は移り、代わって行きます。しかし、神の民に与えられた使命は継承されてゆくのです。

 イスラエルの民をエジプトから導き出したモーセは死に、モーセの従者であったヨシュアが、モーセの後継者となりました。40年前、エジプトを脱出した時、壮年男子であった60万人のうち生き残っていたのは、ヨシュアとカレブのみでした。彼らだけが使命を忘れることなく、どんなに困難があっても、神の約束は必ず成就すると、信仰を持ち続けたからです。

 でもモーセについてもう少し見ておきましょう。「モーセは死んだとき、120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」(申命記34:7)と不思議な言葉が記されています。そしてすぐ前には「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。」(:5~6)とあります。そして新約聖書には、後に変貌の山と呼ばれるようになった高い山に、イエス様と弟子が登ったとき「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。」(マタイ17:2~3)とありますから、モーセは死んだと言うより、天に移されたと考えた方がふさわしいかもしれません。モーセは民から一人離れてモアブのネボ山に登り、約束の地全体を見渡したとあります(34:1~3)が、800mそこそこの山頂からでは、約束の地全体を見ることは到底不可能なのです。だから、モーセは天へ引き上げられ、信仰によって約束の地を望み見て喜んだのでしょう。

 世代は代わりました。しかし、イスラエルの民は神が約束した祝福の地へ渡って行き、それを実現させる使命を受け継いだのです。モーセが語った最後の勧めは「あなたたちは、今日わたしがあなたたちに対して証言するすべての言葉を心に留め、子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。」(申命記32:46~47)でした。神の民はただ約束の地へ入って行くのではありません。そうであれば侵略です。神のみ旨を心に留めず、自己中心に生きるなら、アブラハムが出てきた滅び行く世界と同じです。しかし、神の言葉を心に留め、語り続け、律法の言葉を忠実に生きるなら神の国となります。イエス様は律法を「神を愛しなさい。あなたの隣り人を自分自身のように愛しなさい。」と言われました。この神の愛をもって生きる人々の間に神の国はあるのです。そのような世界を造るため、神はアブラハムをメソポタミア文明の中から導き出し、神の使命を果たす民とされたのでした。

 今オリンピックが行なわれています。陸上女子5000m競技で、アメリカのダゴスティノ選手は交錯して一緒に転倒した他国選手を「立って、立って、完走しなくちゃ!」と励まし、連れ立って走り出しました。彼女の方が負傷の状態は悪く、走り出してもよろけてしまい、順位は最下位でした。彼女のインタビューへの応えは「助けたのは本能。私が助けたというより、私の中の神様が助けた感じ」というものでした。この出来事が、アメリカでは彼女を閉会式の時、アメリカの旗手にしようとの署名が始まっているとのこと。また世界中の共感を呼んでいるとするなら、「未だ、人間、捨てたものじゃない」と思えました。

 さて話は聖書に戻り、ヨシュアはこのような神からの使命を担う民を導く責任を託されたと思うと、恐れを覚えました。実は、キリスト者も一人一人、神のみ言葉を生き、神の国を築く使命を与えられているのです。そう思うと同じく恐れを覚えます。でも、心配しないでください。「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」(:5)と言われます。また「子供たちに命じて、この律法の言葉をすべて忠実に守らせなさい。」と言われるように生きるなら「あなあは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる」(:6)者となるでしょう。

 これらの励ましの言葉は、キリストにより救いの祝福を与えられているあなたへのものです。御言葉を生き、神の祝福の世界を造ろうと願っているあなたに、キリスト者一人ひとりに与えられている言葉なのです。

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