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礼拝説教要約(2016731日)

「必要を満たされる神」    聖書・出エジプト記16112

 「イスラエルは、主がエジプト人に行なわれた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。モーセとイスラエルの民は主を讃美してこの歌をうたった。」(出エジプト1431~15:1)との喜びをもって、エジプトを脱出して丁度1ヶ月。彼らは「荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立て」(:2)始めたのです。

 荒野で水がないことは確かに辛いことです。死を招く脱水状態にも陥るでしょう。でもラマで水の奇跡を体験し、エリムでは十分に水を与えられ、休息できたのです。(15:22~27) でも今度はエジプトから携えてきた食料がなくなりました。すると「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前にすわり、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」(:3)と、言い掛かりともいえるつぶやきをしました。物質の欠乏が与える不満の何と強力なことでしょう。彼らは何のためにエジプトを脱出したのだったでしょう。何の目的も覚悟もなかったのでしょうか。

 彼らはエジプトでは奴隷であり、常に生命の危険にさらされ、重労働に喘いでいたはずです。唯その状態から抜け出したかっただけだったのでしょうか。確かに荒野には圧迫する人はいません。自由です。しかしそこは不毛の地です。そこに豊かさを期待することは出来ません。荒野は試練の地です。彼らの信仰と覚悟が試される地なのです。進むべき目的を失ったら、腹はパンや肉で満たすことが出来ても、自由のない、働くだけの家畜のような奴隷生活に戻るか、この荒野で死を待つしかありません。

実際、イスラエルの民はこの荒野での試練に失敗したのです。約束の地への信仰を持ち続けたヨシュアとカレブ以外はこの荒野で亡びてしまいました。だから、イエス様は、救い主としての公生涯に立つ前に、出エジプトの出来事を踏み直されたのです。イスラエルの民の荒野での40年を40日に縮めて、荒野でサタンから信仰の試みを受けました。それはこの世を象徴するエジプトを脱出して、神の御旨を生きる約束の地へ入るためには、どうしても必要な試練でした。

 イスラエルの民の行くべき目的地。それは信仰の父・アブラハム、イサク、ヤコブの神に約束された祝福の地です。そこで神を礼拝し、交わり、神の御旨に生きる。それは全ての人の祝福の源となることです。これを新約的に言うならば「地の果てまで、全世界の人々に福音を宣べ伝えること」です。

 今日の聖書箇所は“試みを与える主は、常に共に居て、必要なら、いつでも助けの手を伸べてくださる”ことを示しています。モーセやアロンへの不平を、神は聞いており、天の窓を開いて、食べ物をお与えになりました。夕には鶉を送り、肉を与え、朝ごとにパンを与え食べさせました。(:8)それがマナです。「イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウエファースのような味がした。」(:31)とあります。これは地上にある食べ物ではなく天の食物です。神はこのマナをもって、イスラエルの民が神との約束を守るかどうかを試みました。

 「あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり1オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。」(16)と、毎日1オメルずつ集めよう命じました。個人の能力には差があり、ある者は多く集め、ある者は少なく集めましたが、量ってみると、それぞれが必要な分集めていました。天国の法則は能力に応じて与えられるのではなく、必要に応じて与えられるのです。しかし、欲望をもって秘かに多く集め、翌日まで残した物は虫が付き腐っていました。(:17~20) 人は欲望によって、神との約束をこんなにも簡単に破ってしまい易いことを、心に留めておきたいものです。

「6日目になると、彼らは2倍の量、1人当たり2オメルのパンを集めた。」(:22)しかしこれは次の日になっても腐りませんでした。荒野に於いても安息日を覚え、週に一日は主の前に静まることの大事さを示しています。そして更に、モーセとアロンに、1オメルを子孫への証として、壷に入れて蓄えるよう命じました。これらのことからも、マナは地上の食べ物ではなく、神がイスラエルの民を導くために与えた、天の食物であることが分かります。

 イエス様は「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。…わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:3335)と言われました。イスラエルの民が食べたマナは、天から降って来て人を満ちたらせてくださる命のパン・イエス様を予表するものだったのです。私たちも天から降ってきたパン・イエス様を食べ、荒野のようなこの世を、天の御国を目指して歩み続けましょう。

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