行事案内

礼拝説教要約(2016612日)

「キリストは外国の神なのか?」聖書・使徒言行録171634

 アテネの人々は「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。」(:32)とのパウロの体験は、私の体験でもあります。日本人はあからさまに、否定するようなことは言わないが、やんわりと退ける。ここにある「死者の復活などは無い」という、同じ考えをもっている人が多いようです。それは又、アテネという地が案外、日本と環境が同じだからでありましょう。

 日本に神話があり、多くの神々が存在していると同じように、ギリシャにも神話があります。そしてオリンポスの神々が、主神ゼウスを筆頭に多数います。このゼウスが最初に妻としたのが、真偽を知る知恵の女神メーティスで、この二人の間に生まれたのがアテーナーです。アテーナーは英語ではミネルヴァと言い、知恵、工芸、戦略の神とされ、このアテネの守護神であります。

 パウロはテサロニケ、ベレアでテサロニケ人の暴動に遭い、キリスト者となった兄弟たちに助けられてアテネに来ました。アテネに伝道しようと思って来たわけではありませんでしたが、シラスとテモテを待っている間に、偶像の溢れたアテネの町を見て憤りを感じました。そして、真の神を伝えずにはおれなくなったのです。幸いギリシャ人は討論好き、新しい物好きなので、広場で福音を話していると、討論してくる人々がおり、哲学者たちも加わってきました。そしてついに「彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、…あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」(:1920)と言い出しました。アレオパゴスは古代ギリシャ, アテネのアクロポリス北西の丘。「アレイオスの丘」の意味で、そこで開かれたアレオパゴス 会議は,王政時代においては長老会でした。だからここでの討論は最も権威あるものだったのです。

 アテネ人に対して「知られざる神」を伝えようとしたパウロの話したことは、1、「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。」(:24)と創造主を知らせることでした。真の神は、人間の手で造った神殿などにはお住みにならない。なぜなら、「天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てうるか。…これらはすべて、わたしの手が造り、これらはすべて、それゆえに存在すると、主は言われる。」(イザヤ66:12)とあるとおりです。また「何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださったのは、この神だからです。」(:25)と、御輿に乗せてもらわないとどこにも行けないようなものは、神ではないのです。

2、天地とその中にある全てのものだけでなく、人も民族も、そして春夏秋冬の季節も神が定められました。神を肉眼の目で見ることは出来ませんが、神を見出すことはできるのです。自然を注意深く観察する時。また、人間は神の霊を吹き込まれ生きるものとなりました。だから、永遠なく神を心で見出せるのです。だからこそ、神を求め、自分で神々を作ってしまうのであります。「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。」(:29)と、偶像を拝むこと、造ることを戒めています。偶像は真の神を分からなくし、人を神から引き離してしまうものなのです。

3、このように偶像に迷わされている状態を、「神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと命じておられます。」(:30) 聖書ではこの時代を「旧約時代」と言います。人間が知恵をもって作り上げた文明、そこには偶像が満ちています。そこからアブラハムを導き出し、モーセをして律法を与えられました。律法を完全に守るなら、神に嘉せられ、神の子とされるのです。しかし誰一人として、律法を完全に守れる者はいません。生まれた時からアダムの罪を背負っているからです。だから律法は人間に罪を認識させ、悔い改めへと導く養育係となったのです。人間の知恵や努力では神を見出すことは不可能です。だから、神が御自身を啓示くださいました。「先にお選びになった一人の方…神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのおとの確証をお与えになったのです。」(:31) この「一人の方」こそイエス・キリストです。

 ギリシャ人には、キリストの十字架による贖いの死と、救いの確証としての復活は愚かに聞こえました。パウロにとってアテネでの伝道は失敗の例です。だから同じギリシャのコリント伝道では「わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」(Ⅰコリント2:12)と言っています。でも語り続けることで「彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。」(:34)のです。同じような偶像の満ちた日本で、わたしたちも「キリストは外国の神ではなく、全人類の救い主です」と、そして、イエス様の十字架と復活の恵みを、あざ笑われようと、恥じることなく語り続けたい。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.