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礼拝説教要約(2016522日)

「わたしが選んだ器」      聖書・使徒言行録9122

 「ユダヤ教とキリスト教の違いは何ですか?」との質問をされました。違いが分かるためには先ず、同じ点が何であるかを知ることが必要です。

 同じ点は、①信仰のスタートをアブラハムに持つということです。アブラハムは人間の知恵による文明(自分中心の罪ゆえ、互いに競うだけでなく、争い合い、滅びに向かう世界を作り出している。現代の世界情勢、環境を見れば、滅び行く状況は明白です)の中から選び出され、命を育み受け継いでゆく「全人類の祝福の基とされた」人物であり、「信仰の父」と呼ばれているということ。②そしてこのアブラハムが信じていた神は、天と地とその中にある、全てのものを創造された唯一の神であるとの神観念です。③そして神が、ご自身の民として、先ず選んでくださったのがイスラエル民族であり、この神の民を導き教えるために与えた御言葉を「聖書」としているということです。

 しかし、①旧約聖書のみを神の言葉としているユダヤ教と違い、キリスト教は新約聖書をも神の言葉とし、新旧合わせて聖書としていることが、決定的な違いです。②旧約のみを神の言葉とするユダヤ教は、未だ、約束の救い主は来ていない。預言は成就していないと考えています。でも、イエス様は神の独り子・救い主であり、旧約の預言のとおり生まれ、そして、十字架の上で罪の贖いの死を遂げられた。イエス様こそ旧約聖書の預言を実現した救い主なのだということを書いてあるのが新約聖書なのです。③イスラエルという一民族の血の繋がりのみを救いの根拠とするユダヤ教は、民族宗教です。キリスト教は、イエスをキリスト(救い主)と信じる者は、民族を超えて、誰でも救いに預かれる世界宗教です。

 このような世界宗教であるキリスト教の歴史を作った人物が、今日の主人公であるサウロ(後のパウロ)です。

 サウロはフィリピ人への手紙に自己紹介をしています。「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした。」(3:56) 彼は生粋のイスラエル人です。神に対し熱心であるが故に、イエス様をキリスト・メシアと信じる人々、今日の聖書箇所では「主の弟子」(:1) 「この道に従う者」(:2)を迫害する者でした。キリスト教最初の殉教者・ステパノ(使徒言行録75460)を石打の刑にした首謀者でもあります。しかし彼が迫害者から、キリストの福音宣教者に変わったのは、神を純粋に信じ、人一倍熱心であったからでした。

 ステファノを刑に処したことがユダヤ人と指導者たちにより支持され、喝采を浴びたことで、エルサレムに於いては教会に対する大迫害が起こりました。サウロは更に迫害の息を弾ませて、ダマスコのキリスト者たちを捕らえるために出かけたのです。しかし、ダマスコ近くで、突然、天からの光に照らされ、地に打ち倒されました。その時「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(:4)との声を聞いたのです。「主よ、あなたはどなたですか」との問いに、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」(:5)との返事がありました。サウロは自分の過ちを悟り、神を信じていると同じく、イエス様を神の子・キリストと信じたのです。その変化は1日で起こりました。彼の神への熱心さは、迫害者から、キリスト・イエスの伝道者という、180度の変化でした。

 イエス様こそ旧約聖書に預言されている、来るべき神の子・救い主と心に理解させるのは、先週記されていた「聖霊の働き」です。でも神は、人を導くのに人を用います。このとき用いられた人は「ダマスコのアナニア」という人物です。彼は「律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の好い人でした。」(使徒言行録22:12) でも、この場所にしか出てこない普通の信徒です。しかし、特別な働きはなくとも、主の言葉に真実な故に、今に至るまで名を知られる人となったのです。

 「エルサレムでキリスト者を迫害し、更に、ダマスコにいるキリスト者を捕らえるためにサウロという人物が来る」ということは、既に、知れ渡っていました。アナニアに、その「サウロのもとに行け」と主が言われる。アナニアは怖かったでしょう。躊躇したでしょう。しかし、「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(:15)との主の言葉に、従順に従い出かけました。そして「兄弟サウル」と呼びかけたのです。サウルは初めて会う人に名前で呼ばれ、兄弟と言われました。驚いたでしょう。でもそれ以上に嬉しかったでしょう。そして、イエス様が約束のメシア・救い主と知った彼は、このことを伝えずにはおれなくなりました。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Ⅱコリント5:17) 彼は12弟子とは異なり、ローマの市民権を持ち、ギリシャ語を語り、ガマリエルの門下生として律法に通じていました。主は、人が傲慢になり易いことを知っておられるので、謙遜であらせるため、持たざる者を用い給います。でも、サウロは異邦人に福音を伝える、賜物を豊かに持った宣教者として、主に選ばれた器なのです。

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