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礼拝説教要約(201643日)

「感謝し ほめたたえる人」  聖書・ルカ福音書171119

 苦難は不幸だろうか? 東日本大震災、それに伴う日本における最大級の津波、そして福島第一原子力発電所災害があって5年を過ぎた。これらの災害を通して「絆」という言葉が多く使われ、助け合い、心のつながりが強く現れた。このような苦難の中では、心も体も寄せ合う一体感が生まれる。動物でさえ、洪水が起こった時などは、小高い丘に集まって体を寄せ合うそうだ。普段なら強い動物が弱い動物を噛み殺す敵同士なのに、災害時には寄り添う。造り主なる神に助けを求める心で一致するのだろう。ましてや、被造物の最高傑作である人間なら、「治めよ」と神に言われた者として、命を生かして行く思いが湧き出てくるのだろう。このように苦難の中で、強者が弱者を、被災者を守り支える思いが甦り、実行できることは幸いなことである。それとは逆の、豊かな時は幸福だろうか? かえって、格差が生まれ、人に階級をつけるということが起こる。そして、差別、蔑視の傾向が強くなり易い。これは悲しいことである。

 少し状況は違うが、ユダヤ人はサマリア人を汚れた人々として蔑視していた。それでユダヤ人は、サマリアの町を通ることさえしなかった。ガリラヤからエルサレムに行くにも、遠回りをしてサマリアを避けた。イエス様にはこのような偏見がないので、サマリアの町に入ってサマリア人にも福音をもたらした。でも今日の聖書箇所は、「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」(:11)と記してある。その境目にはサマリア人以上に人々に嫌われ、差別されている人々がいた。重い皮膚病を患っている人々である。彼らは同じ苦しみの中で、ユダヤ人もサマリア人も区別なく、隔離された地域で、共に神を仰ぎながら生活していた。彼らは神に対する同じ願いで一致していた。心が神に向かう時、階級や差別は消え、一致が生まれる。

 彼らにも、“イエス様は神の力をもって病を癒された”というニュースは入っていたろう。そのイエス様がおいでになっている。彼らは健康な人々には近づけないので遠くから「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(:13)と声を張り上げて願った。イエス様はこれらの人々に「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」(:14)と言われた。彼らはイエス様の言葉を信じて従った。「祭司の所に行く」とは、重い皮膚病が治ったことを証明するためである。事実、彼らは、行く途中で癒され清くなった。

 嬉しかった。感謝だった。しかしその感謝をイエス様の所に帰って来て表明したのは一人だけだった。「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏し感謝した。」(:1516) では後の9名はと誰でもが思うだろう。イエス様も「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。」(:17)と言われた。イエス様からの恵みを受けるだけで去ってしまう。なんと残念なことか。彼らは癒されても、救いを得ることは出来ないままである。この世の多くの人が、イエス様による恵み、キリスト教の恵みを受けていながら、イエス様の所には帰って来ない。

 日本でも、キリスト教の恵みを受けていない人はいない。この頃、テレビでも度々、明治期のクリスチャンが、ドラマ化され放映された。確かに日本の女性教育や人権の向上、福祉に関してキリスト教の影響は大である。お盆と正月しか休みがなかった日本で、7曜制となり、日曜日は休みとなった。これもキリスト教の影響である。しかし、制度は受け入れてもその精神を受け入れなかった。それゆえ、日曜日は一週間働いて、疲れた体を休める日かのように思っている人が多い。そうではなく、忙し過ぎると人間は向かうべき方向を見失い、滅びへ向かう。それゆえ、週の初めの日に、イエスさまに出会い、神の御旨を知って、命への正しい道を歩むためであることを知っている人が少ないのは残念です。

 ここに居るあなたは、主を褒め称えつつ帰って来た一人です。イエス様からの恵みを受け、感謝だけでなく、神を賛美する人へと心が変えられる。そして、神のもとに来続けることが、救いに与る唯一の道なのです。イエスさまと共に、この世の旅路を、感謝と賛美をもって歩みましょう。

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