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礼拝説教要約(2016214日)

「あなたがたの信仰はどこに」  聖書・ルカ福音書82225

 今日はちょうど、本日の聖書にあるような、思いもかけない春の嵐になってしまいました。イエス様の弟子たちは、船が沈み、溺れ死んでしまうのではないかと恐れましたが、皆さんはどうでしたか。死にはしないが、怪我でもしたら大変と思い、礼拝をどうしようかなーと、迷いませんでしたか。実際、「この天候ですから、今日は休ませてもらいます」と電話してきた人もおります。

 「嵐よ、静まれ!」と命じましたか。私は心の中で叫びました。でも、わたしの言葉には自然を従わせる権威はありません。しかし、言葉をもって世界を創造された主の言葉は、すべてを従わせる権威があることを、前の2週の聖書から見てまいりました。だから私たちの祈りは、この全てを可能にする、権威ある主に向かって「主よ!」と心を向けるのです。そうすれば主は平安と、その問題を乗り越える知恵と力を与えてくださるでしょう。

 イエス様が弟子たちとガリラヤ湖を渡る時、突風が来て湖が荒れ狂いました。そのような中でもイエス様は眠っておられました。それほどイエス様は疲れておられたのです。イエス様が行く所には、どこでも群衆が押しかけてきました。またこれらの人々に神の国の福音を語り、奉仕するには、大きな力が必要でした。力の元は祈りです。働きが多ければ多いほど、過ちに陥らないように、また成し遂げる力を与えられるよう、祈ることが必要です。“忙しすぎて祈る時間がなかった”と言う人がいるなら、それは過ちです。祈らず、自分の知恵で働いてゆくなら、この世と同じ過ちを犯し、滅びの道を辿ることになります。多く働く人は、その分だけ多く、神に心を向け祈る必要があります。だからイエス様には眠る時間さえなかったのです。このような、群衆の来れない船の中で、弟子たちと居る時こそ、ゆっくりと眠れる時だったのです。イエス様が最も安らぐはずの時、「先生、先生、おぼれそうです。」(:24)と騒ぐ弟子たちに気を遣い、お世話をしなければならないなら、イエス様に休息の時はありません。でも、イエス様は、船に乗り、安心して眠りました。弟子たちの多くはガリラヤの漁師だったのですから。

 安心しきった寝顔を見ると、同じように、安心しませんか?子どもや赤ちゃんの安心しきった寝顔を見て、自分も寝てしまったという体験はありませんか。子育ての頃、妻が子どもを寝かせ、いつの間にか平安な顔で添い寝している姿を何回も見ました。もちろん私も平安な気持ちになりました。

安心は安眠をもたらします。皆さんは、夜、安眠していますか。主に全てを委ね、真の平安を与えられるなら、安眠できます。礼拝に来て、安眠しておられる人を、時には見かけます。私もそうだった経験がありますから、叱ることはできません。“心の安らぎ”これは、神の国の姿です。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。」(ヨハネ14:27)「あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)と、主イエスは言われました。イエス様は私たちに平安を与えるために来られたのです。あなたがイエス様の十字架での死を、自分の罪の贖いのためと信じて救われたなら、あなたは神の国の一員です。あなたはイエス様が与える、人知では計り知ることの出来ない平安と喜びを体験したはずです。確かに私たちの回りは不安を覚える状況が一杯あります。自分の身体のこと、経済の不安定さ、紛争やテロ、将来を思うとき、希望より不安要素の多い時代です。クリスチャンになったからといって、苦難がなくなるのではありません。この世に生きる限り苦難はあります。「あなたがたには世で苦難がある」と聖書は言う。不安を利用してサタンは、私たちを自分の支配下に置こうとします。不安に心が捉えられてしまうなら、又もや、私たちはこの世に埋没してしまいます。でも、主イエスが、私たちの不安、苦難を知りつつ、“この世に勝利しているわたしに信頼しなさい”と言われるのです。それでも不安なら「あなたの信仰はどこにあるのか」と、主は言われ、嘆かれるでしょう。

私たちよりはるかに多くの苦難を経験したパウロは、遭遇した苦難を列記した後「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」(ローマ8:37口語訳)と言いました。またダビデも「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:4)と歌っています。主イエスが共に居てくださるとの信仰が、彼らに平安を与え、強くしたのです。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と言われた主は、確かに今も、私たちと共にいてくださいます。

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