行事案内

 礼拝説教要約(2015118日)

「この日のためにこそ」   聖書・エステル記4716

 皆さんのお父さんとお母さんは、自由に会っていますよね。仕事のため、単身赴任ということで、毎日は会えない家族もあるかもしれませんが、普通には会えていますよね。同じ家庭にいても会えないとなれば問題です。しかし、古い時代には、夫婦が自由に会えないということがありました。「この国の役人と国民のだれもがよく知っているとおり、王宮の内庭におられる王に、召し出されずに近づく者は、男であれ女であれ死刑に処せられる、律法の一条に定められております。」(:11)とあります。日本でも、武士の時代は殿様に勝手に会うことはできませんでした。これらは身分の高い者が自分の権威を示すためでした。許しなく王の前に出ると死刑になったのです。

 今日の聖書箇所に、一人の女性が命がけで王の前に出たことが記されています。その人は王妃・エステルです。幸い、王が金の錫をのべ、会うことを許されたので死刑にはなりませんでした。でもなぜ命を懸けてまで、王様に会いに行ったのでしょう。それは、ユダヤ人の同胞を救うためです。

 ペルシャに住んでいるユダヤ人たちは、イエス様が生まれる600年近い前、バビロンによって滅ぼされ、捕囚の民(奴隷)として連れてこられました。それから70年経って、ペルシャがバビロンを滅ぼしてくれたので、多くの人は許されて、故郷に帰りました。でも、帰れない事情があって、ペルシャに行った人もいたのです。自由民ではありましたが、少し前まで奴隷の身分だったのですから、貧しく、生活は苦しかったでしょう。

 でもエステルは神様の不思議な計画の中で、ペルシャの王妃となりました。「彼女がエステルで…娘は姿も顔立ちも美しかった。」(2:7)とあります。容姿が美しいだけでなく、エステルは王妃候補となっても奢り高ぶることもなく、心の美しい女性でした。「エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。」(2:15)と、謙遜で柔和な人となりは、係りの人にも好意を持たれました。そして、「王はどの女にもましてエステルを愛し、…彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。」

 ユダヤ人に危機をもたらしたのは、クセルクセス王の大臣であるハマンという人物です。彼は高慢な人物で、王に引き立てられたことをよいことに、人々にひざまずいて敬礼することを求めました。エステルの育ての親・モルデカイはその命令に従わず敬礼しませんでした。そのためハマンはモルデカイに腹を立てていました。そしてモルデカイがユダヤ人であることを知ると、彼一人を討つだけでなく、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとしました。(3:6) それは、ユダヤ人が独特の律法を持ち、王の法律には従わない民であるから、彼らを根絶する勅令を出して欲しいと王に願い出、許されたのです。(3:811)

そして「アダルの月の13日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることになった。」(3:13)のです。ユダヤ人の間では大きな嘆きが起こり、多くの者が粗布をまとい、灰の中に座って断食し、涙を流して悲嘆にくれました。もちろんモルデカイもそうです。(4:13)

 モルデカイはこの一部始終を、エステルの遣いの者を通してエステルに伝え、「王のもとに行って、自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように伝言した」(78)のです。そのエステルからの返事が11節の言葉です。しかしモルデカイの「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」(:14)との促しにエステルは、命を懸けて執り成す覚悟を決めたのです。「スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために33晩断食し」祈ってくださいと願い、「定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟であります。」とモルデカイに言い送りました。

 王のもとへ行ったエステルは金の錫を差し伸ばされ許されました。それだけでなく、エステルの願いを何でも聞くと言われたのです。エステルは知恵をもってハマンの残虐な悪巧みを暴露しました。また、目には見えない神も働いてくださり、モルデカイがハマンによって吊るされるはずだった高い柱に、ハマン自身が吊るされる結果となりました。

 エステルは、愛する自分の同胞を救うために、自分の命を懸けました。これはイエス様が私たちを愛するが故に、命を懸けてくださったのと同じです。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.