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  礼拝説教要約(2015104日)

「神の計画を悟らぬ民」    聖書・創世記37120

 全人類の祝福の基となるべく選ばれたアブラハムの子孫を滅亡から救い、イスラエル民族として成長するきっかけとなった人物はヨセフです。彼も決して最初から成熟した人だったわけではありません。しばらく彼を中心に聖書を読んで見ましょう。

父ヤコブはヨセフを溺愛しました。聖書的ではありませんが、ヤコブには二人の妻と二人の側女がいました。最初から最愛の人と結婚できたら父イサクのように妻一人であったかもしれません。しかし、古い時代は勢力を増し加えてゆくため、又、子孫が途絶えないために、多くの子を得ようとしたことはどの国でも同じです。ヤコブには12氏族となる12人の男子が生まれました。そしてヨセフは、最愛の妻ラケルの子であります。このラケルがふたり目の子ベニヤミンの誕生と引き換えに死んでしまったのです。ヨセフは母の愛を受けられず寂しいだろうとの思いが、ヤコブを偏愛へと向かわせたのでしょう。ヤコブはヨセフをいつも手元に置き、特別上等の晴れ着をいつも着せていました。これらは他の兄弟たちにとって腹立たしいことであり、ヨセフをだんだん憎むようになりました。

その上、ヨセフが見たまま、聞いたままを父に話す無邪気さは、他の兄たちにとっては父への告げ口となりました。そして特別な夢を2回も見、それをそのまま兄たちに、そして次には父にも話しました。その夢は、象徴的なもので、畑で束を結わえていると、ヨセフの束がまっすぐに立ち、兄たちの束がヨセフの束にひれ伏すというものでした。次は、太陽と月と11の星がヨセフにひれ伏すというものです。これを聞いた兄たちが「お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するというのか」(8)と怒るのは当然です。父も「わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか」(10)と叱りましたが、このことを心に留めました。全ての夢が意味あるものというわけではありませんが、古い時代には、神の御旨を知る一つの手段とされていました。

 ヨセフは悪気があるのではなく、素直すぎるがゆえに、配慮に欠けていました。兄たちに対して何もわだかまりも持っていないので、父ヤコブから、「お兄さんたちや羊の群れが無事か見届けて、様子を知らせてくれ」と頼まれた時も、喜び勇んで出発しました。単に、子供のお使いではありません。へブロンからシケムまでは約80キロメートルもある二日がかりの遠隔地です。尋ねて行きましたが、お兄さんたちはもうそこには居ませんでした。ヨセフが途方にくれていると「何を探しているのか」と尋ね、お兄さんたちがドタンへ行っていることを教えてくれた人は、きっと主の御使いだったのでしょう!更に1日路を歩き、ヨセフはドタンへ行きました。はるか遠くにヨセフの姿を認めたのは兄たちでした。ヨセフがこんな時でも目立つ晴れ着を着ていたからでしょう。兄たちは憎しみの心をもって企み、ヨセフを殺してしまおうと相談しました。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」(1920) 妬みや怒りは判断を狂わせ、神に敵対することにさえなることを表わしています。しかし、さすがに長男のルベンは「命をとるのはよそう。血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。」と、後から助けるつもりで言いました。その言葉に従い、ヨセフの晴れ着を剥ぎ取り、穴に投げ込みました。

 しかし、後になって「ルベンが穴のところに戻ってみると、意外にも穴の中にヨセフはいなかった。」(29)のです。ユダも、肉親の弟を殺すよりも、イシマエル人の隊商に売ろうと提案して、兄弟たちもこれを受け入れました。しかし彼らが仕事と食事をしている間に、「ミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、…イシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまいました。」(38)このことが、後にヨセフがエジプトの宰相となって、夢が実現すると共に、ヤコブの一族を救い、イスラエル民族へと成長するのです。「人の11歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。」(箴言2024)とあります。ヤコブとその子らの過ちは、神様が自分たちをどんなに愛し、祝福の道を計画してくださっているかを悟っていなかったからです。

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