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   礼拝説教要約(201575日)

「約束の子の誕生」      聖書・創世記2118

 「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです。」(ヘブライ1111)この時、サラ90歳、アブラハム100歳でした。聖書を神の言葉と信じていないこの世の人々は、「そんなことがあるものか。やはり、聖書に書かれていることは、物語、作り話だ!」と言う人もいるでしょう。あなたはどう思われますか?

 自分の常識では“決してありえない”と思うから、これを否定するというのであれば、イスラエル民族の存在を否定することになります。「アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した。」(34)とあるように、イスラエル人は2千年にわたって、今も生まれた男子には、八日目に割礼を施しているのであります。70年前にあった戦争の時、ナチスがユダヤ人を見分ける一つの方法は、この割礼を受けているか否かでありました。彼らは自分がユダヤ人であることを隠しませんでした。そのため、アウシュビッツ等の強制収用所に連行され、600万人も殺害されてしまいました。彼らは自分がユダヤ人であることを誇りとし、そのことに命を懸けました。なぜでしょう? 彼らは、自分たちの先祖アブラハムは、神に選ばれ、神の友とまで言われ、全世界の祝福の基とされたということを誇りとしていたのです。このイスラエル人の生き様が、聖書の言葉の真実であることを証明しています。

 でも、御使いがアブラハムに言うのを聞いて、サラ自身も「そんなことがあろうはずはない」と秘かに笑ったのです。「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。」(181011) しかしこのイサクの誕生は、約束によるものです。アブラハムのもとを3人の旅人(主と御使い)が訪れた1年前、「わたしは来年の今ごろ、必ずここに来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」(1810)

 あえて「あなたの妻サラに」と言ったのは、アブラハムは主の約束を、自力で成し遂げようとしたことがあったからです。それだけ誠実、真剣に神の言葉を受け止めていたということでしょう。アブラハムが85歳の時、主が「あなたの受ける報いは非常に大きい」とアブラハムに言いました。それに対してアブラハムは「わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼル(異邦人で家の僕)です」と言うと、「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」(15)と主は言われたのです。ですから、アブラハム夫婦は、サラの若い女奴隷エジプト人のハガルによって子を儲けようとし計画しました。そして、イシマエルという、今のアラブ民族の父となる者が生まれました。年は流れアブラハムが99歳の時、主は再度現れ、アブラハムに「イシマエル…彼も大いなる国民となる。しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」(172021)と約束なさったのです。この約束の通り、イサクは生まれたのです。天地を創造し、人間を造り、命を与えた創造主に不可能はありません。人にはできなくても、神は何でもできるのです。

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ145)は、バプテスマのヨハネの母・エリザベトが、イエス様の母・マリアに言った言葉です。マリアは未だ結婚していない乙女です。しかし彼女は「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。…聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ13135)との御告げがされました。「どうしてそんなことがありえましょう。わたしは男の人を知らないのに」と不審に思いました。またそうなれば、姦淫を行った罪人として処刑されるかもしれません。しかしマリアは覚悟と信仰を持って「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ138)と受け入れたのです。このようにして生まれたイエス様こそ、アブラハムに与えられた祝福の使命を受け継ぐイサク、イスラエルと呼ばれたヤコブの子孫です。イサクも人間の常識ではありえない状況で生まれた約束の子ですが、イエス様こそ神の祝福を実現するため来られた「約束の子」なのです。

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