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  礼拝説教要約(20141214日)

「その名はシメオン」     聖書・ルカ福音書2:22〜35

 今日の聖書の箇所は「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」(22)とありますから、イエス様の誕生から33日経た後の事です。ですから、来週の28節からの羊飼いへの顕現とは、時間的に前後することとなります。しかし本日は「シメオン」という人物に焦点を当てて黙想したいと思います。

 「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」(2526)とシメオンを紹介しています。先ず「正しい人」とあります。ルカ16にも「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めを全て守り、非の打ちどころがなかった。」とありますから、シメオンも、主の掟と定めを全て守り、真実に生きてきたのでしょう。

 次に、「信仰あつく」とありますが、イスラエル人は誰でも、自分たちは選ばれた民族、つまり、いつの日か世界の盟主となる日が来ると、固く信じていました。モーセのような力ある預言者、ダビデの子孫から出る王が、かつての栄光を取り戻すと信じていました。しかし、権力、軍事力ではなく、神が遣わすメシアは超自然的方法で自分たちを救い、全世界に平和を与えると信じている人々も少数ながらいたのです。彼らは祈りつつ、忍耐強くその時をまっていました。シメオンもそのような信仰者の一人だったことが「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(3132)という祈りから分かります。

 イスラエル人は異邦人に支配され、虐げられてきました。だけど。神は必ず、ご自身の民を慰めてくださる。そしてその日も近い。なぜなら、自分は年を取って死ぬ日も近い。その私に「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」(26)との聖霊に告知を頂いていたからです。シメオンは、だからこそ年老いても希望を持て、エルサレムにいたのです。

 シメオンのこのような人柄と信仰はどこから来たのでしょう。「シメオン」という名は、イスラエル民族にとっては、恥ずべき名でした。ヤコブとレアの第2子。イスラエル12部族の族長の一人であります。しかし、約束の地において、嗣業の地を与えられなかった2部族があります。レビ族とシメオン族です。でも、レビ族は神御自身が嗣業という最も恵まれた祭司の部族となりました。一方、シメオン族はユダ族の中に居候する肩身の狭い生活をしなければなりませんでした。

 その原因は、父ヤコブの最期の祈りです。「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。」(創世記4957)このように祝福ではなく、呪いでした。妹ディナの件で、愛と誇りから生まれた行為ではありましたが、怒りにまかせて暴力をふるい、剣で解決しようとしたからです。(創世記34章)

このため、シメオン族はエジプトを出た時、兵士59,300人の中堅部族だったのに、約束の地に入る時は、22,200人の最小部族となっていました。最初にイスラエルの王となったサウルが、自分の出身部族ベニヤミンを「イスラエルで最も小さな部族」と言っていますが、それから察するなら、シメオンは部族としても数えられない程、惨めな存在であったのです。

 シメオン族の人々は忍耐の民となりました。シメオンは小さい頃、「何で、こんないやな名をつけられたのだ」と、自分につけられた名を恥じたかもしれません。しかし何世代にも亘って、暴力を戒め、剣に頼らず、神に慰めを求め祈ったシメオンの人々の心は、彼にも受け継がれていました。「シメオン」の名の通り、「神が聞きたもう」と、神に信頼し神に祈る民、神に希望を置く性格が彼の内に育っていったのでしょう。主はそのようなシメオンの信仰を祝し、聖霊によってメシアに会うまでは死なないとの御告げを与えたのです。その聖霊に導かれて、幼子のイエス様に出会いました。シメオンは幼子を腕に抱き、神を讃えました。更に、イエス様の両親を祝福しました。(2834) ひとりの年老いた信仰者シメオンによって、「シメオン」の名は、もはや恥ずべき名ではなくなりました。シメオン族の名は、神の民の一部族として、永遠に輝く存在となったのです。

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