行事案内

     礼拝説教要約(2014914日)

「あなたは神の国から遠くない」聖書・マルコ福音書122834

 「神の国」と言っても何のことだか、意味を受け取れない人が多いのではないでしょうか。かつて、日本は神の国と言っていました。先の戦争の時も「神国日本は決して負けない」とインプットされ、敗戦が濃厚になっても、本気で「神風が吹く」と思っていた人も少なくないと思います。今は天皇を神と思っている人はいないと思います。しかし、その系図を遡って、日本の創世に至り、アマテラスオオミカミ等が出てくると、やはり天皇家の祖先は神と考えている人々もいるのではないでしょうか。

 神とは永遠なる存在だから、神の国では娶り嫁ぎなどない。だから、神の子孫などというものは存在しない。というのが聖書の神観念です。ですから、神々が結婚し、その子孫が天皇であると考える、日本的偶像神観とは全く異なるものです。なので、今日の聖書箇所にある「神の国」という意味を、日本では説明する必要が有ります。

 聖書の神観念は「神は唯一である。ほかに神はない。」というものです。そしてこの神は、天地とその中にある全ての物を創造された「創造主」であります。でも、一般の人に、聖書の神観念として最もよく知られているのは「神は愛である」ではないでしょうか。その神の愛のみが支配する、つまり、愛が唯一の律法である世界が神の国であります。

 この世は「さすらい人の地」であります。人は神の御旨にしたがって生きるのでなく、自分の知恵を神として生きようとしました。そのためエデンの園から追放された人間は、目的を見失い、滅びへ向かうさすらい人となりました。現代に生きる私たちは、この世が、このまま進んで行くなら、確かに滅びであることを意識しています。聖書の御言葉は真実なのです。

 聖書の民にとって「幸福とは」神の国に入ることなのです。神の国に入るには、モーセを通して示された律法を守ることであると、イスラエルの民なら誰でも知っていることです。それゆえ「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」(1228)とイエス様に好意を寄せた一人の律法学者が尋ねました。イエス様は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(30)と申命記6章のお言葉を引用して応えました。これはイスラエルの民にとって、私たちが最もよく祈る祈り「主の祈り」のようなものです。彼らはこの「イスラエルよ、聞け」で始まる祈りを、事あるごとに祈りました。愛なる神への応答は愛しかないのです。

 でも、目に見えない神を具体的には、どのように愛すればよいのでしょう。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」(Tヨハネ41921)とヨハネも言っているとおり、神への愛は人への愛として表現されるのです。イエス様はレビ記19章から引用して「隣人を自分のように愛しなさい。」(31)と言われました。

神を愛する者は、兄弟が一緒に神の国に入れるよう、神の愛を伝えるのです。身近な兄弟姉妹に伝えるのは、単に言葉だけではありません。そこに愛の行為という裏打ちが大事なことは皆さんもお分かりでしょう。そのようにして、愛が証明されるのです。

 この律法学者は「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」(3233)と応答しました。あなたはなんと答えますか。

 この応答にイエス様は「あなたは、神の国から遠くない」(34)と言われました。神の国に近づいているということは、素晴らしいことです。しかし、「神の国から遠くない」と言われ続けてはなりません。なぜならそこは、未だ神の国ではなく、滅びの世界なのですから。そのままであれば、最後は残念ながら滅びなのです。そのようにキリスト教に好意を持ちながら滅んでゆく人がなんと多いことでしょう。決断をし、飛び込んで欲しい。あなたもイエス・キリストの十字架という門をくぐり、神の国の住人になってください。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.