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礼拝説教要約(2014年8月31日)

「聴き続けよ!」      聖書・ヘブライ2:1〜4

 今日は、安田正昭兄のチャペル・コンサートの感激をもう一度ということで、DVDの鑑賞会を開きます。彼の演奏の背後には、主への讃美があります。彼と同じ思いになって、主を誉め称えたい。

だからといって、今日のメッセージを「聴き続けよ」としたわけではありません。ヘブライ人への手紙1章では、御子イエス・キリストの卓越性が述べられました。預言者や天使に優る、真の預言者、王の中の王、万物の創造者であるだけでなく、それを保持し、また、相続者であるのが御子キリストであります。しかし、神学的にそうであるというより、目的は、それが信仰生活の実際に、生きて働くことが大事なのです。

御子によって顕された救いを聞き、記憶するだけでなく、それに応答して行くことで、福音は真の福音となるのです。

 「わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。」(1) 「押し流されてしまいます」とは、目的地から外れてしまうことを表わしています。船で航行する時は目的地があります。しかし、舵を目的地にきちんと合わせても、日々、修正しなければ、流されて、目的地から外れ、目標の港に入ることはできません。

 主の十字架の贖いを信じて洗礼を受けるということは、目的地が定まり、舵をそこに、正しく向けたということを意味します。聖書が言っている「罪」とは、「的外れ」の人生ということです。それは、神様が全てのものを創造し、人間にそれを委ねられました。そしてそれは「はなはだ良かった」のです。つまり、天国の姿です。しかし、人が神の御旨から外れて、自分中心に歩みだしたため、その行く先は「滅び」つまり、地獄となりました。人間の歩みが滅びであることは、現代の状況を見ても明白です。これが罪であり、神の創造目的から外れているのです。向かっている的(目的地)そのものが外れているのです。ですから、目的地を再度見出し、そちらへ方向転換しなければなりません。滅び(地獄)ではなく、命(天国)へ。この方向転換を聖書では「悔い改め」と言います。罪を悔い改めて洗礼を受けることがクリスチャンのスタートです。でも、目的地に舵を定めたとしても、それでもう安心と、舵から手を離せば、押し流されるのです。ですから、いつも注意し、神の言葉を聴き続けないと、この世の流れに、押し流されてしまうのです。アシュラムでいう「静聴」が大事なのです。

 2〜3節には、1章ですでに語られた「天使」と「神の子」の対比が繰り返されています。預言者や天使のような仲介者を経て、間接的に与えられた律法より、神の御子によって直接、与えられた福音は、遥かに優れています。その御子によって与えられた救いをないがしろにしては、神の恵みを、決して受けることは出来ません。ここに「罰」とありますが、これは、キリスト教信仰では普通使わない表現です。「御子を信じる者は裁かれない。信じないものは既に裁かれている」(ヨハネ318)。「わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く」(ヨハネ1248)とありますように、神が罰を与えるのではなく、神の言葉に従わないことは、滅びへと自動的に行くことになるという意味です。

 この福音は、救い主・御子イエス・キリストが直接語りました。「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(マルコ11415)。また、イザヤが預言したメシア預言の聖句を読んで「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ421)と言い、更に、十字架にかけられた犯罪人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」と言った時、「イエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。」(ルカ2342)

 しかし、ヘブライ書の著者は「それを聞いた人々によってわたしたちに確かなものとして示され」(3)と言っています。これは著者が、直接イエス様に接した人でなく、2代目、3代目であったことを示しています。これは「聞いた」ということにおいては、私たちと同じ立場です。そしてこの後の時代に聞く人々に対しても神が「しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物を御心に従って分け与えて」(4)証しして下さるのです。だからこそ、御言葉に無頓着ではなく、真面目に読み、神の問いかけに対し、真剣に自分の全身全霊を傾けて応答したい。この世の流れは強いものです。そのこの世と妥協して、うまく世渡りすることが生きる道でしょうか? そうでは有りません。天国へ向けて出発したなら、日々、自分の歩みを修正するために、神の御ことばを聞き続けることが大事なことなのです。

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