行事案内

  礼拝説教要約(2014年1月5日)

              聖書・Tテサロニケ2:1〜8
「神に喜んでいただく」   

 昨年の暮れは2014年が暗くなる予兆があることを述べました。それは、特定秘密保護法案なる法律が可決されたり、今年4月からはまた消費税が上がったり、東日本大災害直後は原発脱皮の雰囲気がありましたが、やはり原発依存の政策が決定されたこと等による懸念でした。

 かつては説教資料として新聞切抜きをしましたが、現在は、暗い記事に関してはそれを必要としません。残念ながら毎日のようにそのような出来事がニュースになるからです。本日も新聞を取り込むとき、一面に目を留めますと驚くような残念な記事が目に入りました。「裁判に出す証言内容を、検事が密室で証人に指示し、予行演習までしていた。」という記事です。秘密保護法等と考え合わせて、鳥肌の立つような恐れを感じさせられました。

 皆さんは、これ程ではないとしても、事実と異なることを言われ、辛い思いをしたことはありませんか。私はそのような辛く悲しい経験をしたことがあるのです。それと、治安維持法によって捕らえられた牧師が自分の恩師であるから、なおいっそう敏感に感じたのでしょう。それでも恩師は人を恨むことなく、また恥じることもありませんでした。治安維持法が悪法としてなくなって、免責となり釈放された後、また同じように福音を語り続けてくださったから、私も救いにあずかることができたのです。

 パウロもざん言され(事実を偽って言いふらされ)ました。「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。」(2:2)とは、使徒言行録16章に書かれているフィリピで囚われ、牢獄につながれたことを言っています。獄につながれたことは事実ですが、その理由は福音を伝えたためでした。それを、世を惑わす政治犯罪者であるかのように、テサロニケの人々に言い、パウロの伝道を妨害しようとしたのです。

更に「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。」(:3)の釈明の背後には、パウロは家族に不和をもたらし、性的乱れを生み出し、他人をごまかすことが目的だと言う人々がいたということです。イエス様も「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。…父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、姑は嫁と、嫁は姑と、対立して分かれる。」(ルカ12:51~53)と来るであろう迫害時の状況を語りました。パウロの伝道においてもこのような現実が起きたのです。また「すべての兄弟たちに、聖なる口づけによって挨拶をしなさい。」(Tテサロニケ5:26)等が誤解されたのでしょう。

「人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。」(:4)と言われました。これは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。…弱い人に対しては、弱い人のようになりました。」(Tコリント9:20~23)と言ったようなことで、パウロは誰に対しても受け入れられるようにと、八方美人になっている。人を喜ばせて歓心を買おうとしているとの悪口があったのでしょう。また「相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。」(:5)と、パウロは利益目的でへつらい、おべっかいを使っているとか、「あなたがたからもほかの人からも、人間の誉れを求めませんでした。」(:6)と言わなければならなかった、陰口もあったのでしょう。

更に「わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかしあなたがたの間で幼子のようになりました。」(:7)と言ったのは、この世の上に立つ人のように、権利を主張し、独裁者的に人を従わせようとしていると批判する人もいたのでしょう。しかしパウロは、主が言われたように「上に立つものは、仕える人にならねばならない」ことを良く心得、伝道者が日々の糧を得る権利さえ行使せず、母親のような慈愛の心で人々に接したのです。

 パウロの願いは、一人の人にでも多く福音を伝えることでした。自分が人々にどう見られるかではなく、神に喜んでいただくことだったのです。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.