行事案内

                                                      

 礼拝説教要約(2014年5月11日)

「嵐の中の地球号」     聖書・ルカ福音書13:1〜5

 今日の聖書箇所には悲惨な出来事が2件記されています。

1は「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたこと」(:1)であります。これは、歴史的状況は定かではありませんが、ガリラヤ人が急進的であったため、政治的にも敏感で、不和を起こしやすい気風が関係していたのでしょう。彼らがエルサレムへ巡礼し、礼拝のため犠牲を捧げている時、ピラトによって殺されたという出来事あったようです。ガリラヤの領主ヘロデとピラトとは、仲たがいしていたことが知られています。後の別の出来事ですが、イエス様が裁判を受けるようになった時、ピラトは「この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。…この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。」(ルカ23:612)とあります。

 もう一つは、シロアムの塔が倒れて、18人もの人が死んだという事件です。建築技術が未熟のためだったか、自然災害だったか分かりませんが、とにかく、犠牲者がでました。

 これらの犠牲になって死んでしまった人々について、イエス様に報告した人々がいました。その報告した人々の思いの中には、日本人にもある因果応報的考えがありました。「あのような死に方をした人々は、何か罪を犯していたから、神様からの罰を受けたのでしょう」との思いです。しかしイエス様はそれを否定するかのように、問い返しました。「そのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。」(:2)と。そしてきっぱりと「決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」(:3)と警告されました。

 この聖句を読んだとき、2つの悲しい出来事を思い出しました。1つは3年前の東日本大震災、もう1つは、3週間前の韓国フェリー・セウォル号沈没事故であります。そして「あの時死んだ人々は、あなた方以上に罪深い者だと思うか。決してそうではない。あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」と、イエス様は、今の時代の私たちにも言っておられると、強く示されました。

 東日本大震災の被害は、単に、シロアムの塔が倒れたような自然災害だったでしょうか。原発問題に見られるように、安全を無視した人間の、経済成長主義が被害を拡大しています。そして、セウォル号事故に現代社会の罪が集約されています。あの事故を分析した結果は、安全を無視した船の改造と過積載が原因だったとのことです。

 そしてこれは、セウォル号を地球に置き換えれば現代社会にある罪そのものが見えてきます。地球は神の造られた自然の状態ではなく、改造されています。地球を誰がどのように造り変えたのでしょうか。第1に、自然の破壊であります。熱帯雨林の乱伐と利益、便利さ優先の鉱工業の発達は、地球を汚染し、気候態系を変えています。それが近年のエルニーニョ現象による異常気象と地球温暖化です。そうしてこれは第2の「偏り」と関係しています。貧富の格差と温度の格差であります。国の中にも貧富の格差が増大しえいます。セウォル号事故を起こした韓国では、10大財閥が韓国の国内総生産の70%以上を占めている。とも報じられています。富める国と貧しい国との格差も増大しています。このため益々、地球から資源を搾取しようとして、いつも争いが絶えません。明らかに地球は神の造られた自然の状態から改造されています。そしてこのような改造をしているのは私たち人間です。

 「過積載」は利益追求から起きる過ちです。セウォル号では3.6倍もの過積載になっていたとのことです。利益追求のみが重要視される社会構造は、人の心に歪みをもたらします。互いに支え、守りあう愛の心を失わせます。

 津波は来ます。嵐は起こります。それでも、改造や過積載が無かったなら、沈没事故は起こらなかったでしょう。地球号は今、嵐の中にあります。それでも沈没しない地球号でありたいものです。「決してそうではない。あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」の御言葉が響きます。

100年前海難史上最大の事故とも言われるタイタニック号の沈没がありました。それは映画にもなりましたが、その最後の場面で「人は神の前に、もっと謙虚でなければならない」と言われた言葉を心に留めたいです。

新着情報











Copyright(c)Okamura Church All Rights Reserved.