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礼拝説教要約(20131215日)

                          聖書・マルコ福音書1:10〜18
「先に遣わされた使者」
 クリスチャンとはどんな人たちでしょうか。キリストにより頼み、祈る人と言えるのではないでしょうか。それゆえ、主キリスト・イエス様と出会う礼拝と祈祷会を、大事にしてゆきたいと思うのであります。

 今、祈祷会ではヨシュア記から学んでいます。イスラエルの民はついにヨルダン川を渡り、約束の地にはいりました。その指導者がヨシュアです。ヨシュアをギリシャ語に直すと「イエス」となります。ですから、イスラエルにはこの指導者の名前にあやかりたいと、「イエス」という名は多いのです。マタイによる福音書には、マリアと婚約しているヨセフに、主の天使が「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1:21)と言っています。しかしこれに「キリスト」(へブル語ではメシア・油注がれた者)が付くと、特別の意味を持ちます。なぜなら、油注がれるのは王か、祭司であります。

 マルコ福音書の書き出しは「神の子イエス・キリスト」であります。「神の子なる救い主」そのお方に東の国から来た博士達は、黄金、乳香、没薬を奉げたのです。これは預言であります。王を表す黄金、祭司をあらわす乳香、そして没薬は死者に塗るものです。この奉げ物は王であり、祭司であるお方が十字架で死なれ、人々を罪から救う救い主であることを表しています。

 マルコはこのお方を伝えるにあたって、洗礼者ヨハネから紹介しています。神がイスラエルの民に、昔より預言していた救いを、イエス様を通して実行したという保証人、それがヨハネの役割であります。

神はイスラエルに対して救い主の到来を預言しています。「見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたが待望している主は、突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を、正しくささげる者となるためである。」(マラキ3:1~4)。「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒地に広い道を通せ。」(イザヤ40:1~3)しかしこれは、救い主の前に来る道備えをする人物が居ることを預言しています。

 今日の聖書の箇所を見ると、この預言の通り、ヨハネが荒野に現れました。イスラエルの民の捕囚を預言したイザヤは、また、解放を預言しています。それは、イスラエルの罪に対する裁きの期間が終わった。咎は償われ、赦された。それはイスラエルの救いであります。マラキはその裁きを精錬し、汚れを除く、きれいに浄化し、灰汁をもって染み抜きをし、防腐することにたとえています。このように裁き、清め、赦すお方が救い主であります。でもヨハネは解放者・救い主ではなく、彼の働きはそれを先触れすることであります。「荒野で呼ばわる声」と表現されています。

 何故「荒野で」なのでしょうか。人間は都市を築き、文化を発達させます。しかし罪ある人間の都市文明は物質中心であります。それは自然を破壊汚染し、世界を滅びへと向かわせます。また、物質文明は貧富の格差と、権力による人間格差を生み出します。これは神の御心ではありません。それゆえ神は、メソポタミヤ文明のウルの地からアブラハムを導き出したのでした。

 信仰の父アブラハムを祖先とするイスラエルの民が、使命を忘れ、この滅びへの道を歩いたゆえに、神は裁き、使命を思い出させたのです。彼らが罪を告白し、悔い改めたとき、もう一度、解放し、使命を果たすべく約束の地へと帰還させたのでした。

 ヨハネはこれらを告げる最後の預言者、神の言葉を預かった「声・伝える者」であります。彼は悔い改めのバプテスマを授けていました。古い自己中心の自分は水の中に沈められて死に、再生の命を得、新しい歩みを始めるのであります。しかし「彼はこう宣べ伝えた。『わたしより優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。』」(:7)と言いつつ、ヨハネは喜びに溢れていたのであります。それは、自分も救いに預からねばならない罪びとであることを知っていたからです。そして、いまや、その救い主が来たと声高らかに呼ばわったのです。彼は先に遣わされた者の苦しみと、誉れを味わっていたのです。

 家族の中で、クリスチャンはあなた一人でしょうか。それなら、喜びましょう。あなたもまた、ヨハネと同じく、先に遣わされた者なのですから。

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