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礼拝説教要約(2013121日)

                          聖書・マルコ福音書131427
「人の子が来る」

 本日はアドベント第1主日です。今年も先週の収穫感謝をもって終わり、救い主のお出でを待つ季節、アドベントからスタートするわけです。

 今日はジュニアチャーチでも、イザヤによるインマヌエル預言から学びました。人は恐れ、苦難を逃れようとして、群れを成して対抗するか、大きな権力に追従してしまい易いです。今から2700年前、イスラエルの北方アッシリヤ帝国が巨大さを増してきました。北イスラエルはシリヤと同盟を結び、対抗しようとしました。そして南ユダにも連合に加わるよう要請してきましたが、アハズ王はこれを断ったため、この同盟軍に攻撃されたのです。この時、預言やイザヤは「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」(イザヤ7:11)と、神により頼むように勧めましたが、アハズ王は「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」と、さも信仰深そうに答えました。しかしその実、神に信頼せず、アッシリヤと手を結んで窮地を逃れようとしたのです。その時、イザヤが言った「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に、もどかしい思いをさせるだけでは足りず、わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:13~14)がインマヌエル預言と呼ばれる、救い主の誕生預言です。

 アハズ王はこの時、群れを成して対抗する道ではなく、権力に追従する道を選びました。しかしこのため、北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアは、南ユダ王国も飲み込もうと攻めてきたのです。エルサレムを残し、周りの町々、村々はアッシリアの手に落ちました。南ユダ王国も風前の灯です。

 「闇の中を歩む…死の陰の地に住む…彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭…地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服」(イザヤ9:1~4)と暗闇が覆う世界。このような暗い世界にならないと救いを求めようとしない人間の性を思います。アハズ王は失敗しました。しかし、群れを成して対抗する道ではなく、権力に追従する道でもない、第3の道があるのです。アハズ王の次に立ったヒゼキヤ王は、イザヤの「静まって、われの神たるを知れ」との預言を信じ、主により頼み、この窮地を乗り切ったのです。

 このような状況での態度、人間の心は、2700年前も、今も変わりません。「憎むべき破壊者が立ってはならないところに立つのを見たら  読者は悟れ  」(マルコ13:14)とは、この世を破壊へと誘う独裁者が権力を持ったらと、今日の聖書は語りかけます。

 政治について語ろうとは思いませんが、今日本で最も危ういことの一つは「特定秘密保護法」を無理やりに権力によって成立させようとしていることです。政府によって都合の悪いことを隠し、人々の心を疑心暗鬼にさせる。また、知る権利や、語る権利を奪った、戦中の治安維持法のような悪法にならなければ良いがと、多くの人か懸念しています。今、新聞に「意義あり・特定秘密保護法案」という記事が連載されています。今日は作曲家の服部公一氏が「僕は、子どもたちの未来を明るく照らしたくて、童謡など子どもの曲ばかり書き続けてきた。なのに、暗い日本を子供たちに預けなければいけなくなるかもしれない。大人のひとりとして、心から申し訳なく思います。」と言っています。

 今日の聖書箇所の直前に「わたしの名を名乗るものが大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさ…方々に地震があり、飢饉が起こる。」(13:6~7)とあって、今日の「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」とあります。これは救い主の再臨の預言です。

イザヤの時代のインマヌエル(主われらと共にいます)預言は、2700年前の状況解決への神の言葉でしたが、それから700年経ったイエス様の誕生によって成就したのです。神の言葉は、一時代にしか通用しないようなものではなく、同じような状況であれば、常に問題解決の真理の言葉なのです。イスラエルの民は、ローマ圧制と人身腐敗の中で、救い主の来臨を待ち望みました。今、私たちは地球の環境や人心の状況を見るとき、再臨の近いことを感じます。イスラエルの民が、メシヤ預言を知りながら、メシヤの到来を分からず、受け入れなかったようになってはなりません。常に心を聖書の言葉によって研ぎ澄ましていることが必要です。「人の子が来る」のは、確かに近づいているのですから。

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