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礼拝説教要約(2013年9月1日)
聖書・マタイ福音書18:10〜20
「天の父の御心に添う交わり」
 先週、こころの友伝道全国大会に出席させていただきました。当教会からも7名が参加しました。会場が横浜でしたから、私を含め5名が司会や受付の奉仕をさせていただきました。その方々が恵みの証をしてくださいました。私も今回の集会を通して、魂に寄り添うことの大事さを再認識させられました。
 当教会のことを知っている深谷師が、受付に来ての喜びを「受付から素晴らしい恵みにあずかった。今、救霊、見よ(今給黎)という名の人が迎えてくれた。」と話された。本来は人の名をこのように茶化して言うことは失礼だろうが、心を開いた交わりがあるから、明るい笑いの導入になりました。
 今日の聖書の箇所は、「迷い出た羊の譬え」としてよく知られています。では、神は羊のことを心に掛けているのでしょうか。そうではありません。羊のように迷い易い人間に対する愛が記されているのです。忍耐強く待ち、また、捜してくださる。そして捜し当てたら心から喜んでくださる。わたしだったらキット、先ず、怒ってしまうだろうなーと思います。でも、本人が一番、悪いことをしたと思っているでしょう。だから、探し当てたことを真底嬉しいのですから、素直に喜びを現す方が良いなと気づかされました。
 あなたに悪をなした人が、災いに遭った時、私だったら、「自分で蒔いた種だ。あの人は苦しんで、反省すれば良い、ほっておけ!」と思いがちです。でも主イエスはそのような人も赦されます。それどころか、「迫害する者のために祈れ」「あなたの敵を愛しなさい」と言われます。大河ドラマの新島八重の台詞ではありませんが「ヤソの言っていることは分かんえー」が、キリスト教を知る前の私でもありました。
 イエス様の思いは、常に「いかにしたら相手が心を開いて、受け入れてくれるか」「罪を悔い改めて、神の愛に気づき、身を委ねるか」でした。神のみ心は「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(:14)「神は、すべての人々が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Tテモテ2:4)ですから、このみ心に近づきたいと、今は切に願います。
 何もなければ、人は自分の罪に気づきません。私も、少年時代、気づかないどころか、自分は、他者に比べて、まだ良い人間だと思っていました。だから、悪いことをしている友人に対して非難の心がありました。しかし、イエス様は道から迷い出た羊を探し、心から喜びました。悪をなした人に対しても、決して、上から目線ではありませんでした。注意はしなければなりませんが、相手に恥をかかせることがないように、配慮し、先ず二人だけのところで忠告しなさいと言われます。これは友として横並びの姿勢です。他人の前で恥をかかせられるなら心は閉じてしまいます。
 そして、一人で行動する時でも、背後で、同じ心で祈ってくれている友をもつ人は、なんと幸いでしょう。こころの友伝道の大事さはここにあります。「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしのその中にいるのである。」(:19~20) 
 私したちは決して一人ではありません。天の父の御心に添うことを願うなら、そこには、主も共にいる、心の友の交わりが生まれるのです。
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